関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 三成の実像2458 白峰旬氏の講演「関ヶ原の戦いを再検討する」3 これまでの研究史

<<   作成日時 : 2018/11/19 18:30   >>

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 昨年8月20日に、佐賀県立佐賀城本丸歴史館で行われた、歴史企画「関ヶ原の戦いを再検討するー龍造寺・黒田・加藤を中心にー」において白峰旬氏は基調講演「関ヶ原の戦いを再検討する」をされましたが、その内容報告が、別府大学史学研究会『史学叢書』第48号に掲載されました。その内容紹介の続きです。
 「これまでの研究史」は、「一次史料を真剣に分析してこなかった」、「江戸時代の軍記物(いわば小説)の現代語訳に終始して、もっともらしい解釈を付加してきた(その典型例が小山評定や問鉄炮の話)」と指摘されています。
 小山評定があったことを示す一次史料はないことは、この講演の最後で述べられていますが、このことについては改めて述べます。問鉄炮については、「都市伝説としての関ヶ原の戦い」で触れられていましたが、「家康の家康による家康のための関ヶ原」を演出するために創作されたものの一つだと述べられています。問鉄炮がなければ、関ヶ原の戦いで家康が活躍する場がなくなってしまいますから。
 さらに、「関ヶ原の戦いについて、まともな学術論文がな」く、「一次史料による分析が遅れている(本格的な研究の遅れ)」ことも指摘され、これまで「軍記物の内容を現代語訳するだけでみんなが満足し、何も新しいものは出てこないと錯覚していた」、「一般受け歴史雑誌による同じストーリーの再生産がえんえんと続けてきた」が、これは「読者への刷り込み現象」だと批判されています。
 私もオンライン三成会編「三成伝説」(サンライズ出版)の「美濃・関ヶ原」の章を執筆するにあたって、戦いの経緯などについては、「歴史群像シリーズ 決戦関ヶ原」(学研)に所載されている工藤章興氏の「ドキュメント関ヶ原」をはじめとする歴史雑誌の記載内容を参考にしました。要するに、基本的には通説に基づいた記述になったわけです。もっとも、三成方軍勢が大垣城を出て関ヶ原へ移動したのは、動きの怪しい小早川秀秋の動きを牽制するためだったとする中井俊一郎氏の見解、島津隊が動かなかったのは、二番備えであったとする桐野作人氏の見解なども紹介し、問鉄炮への疑問点も少し記しましたが、基本的には通説のままでした。まさに「刷り込み現象」に自分もとらわれていたと云えます。
 講演会では、「読者への刷り込み現象」について、「歴史の虚像(関ヶ原の戦いの虚像)が歴史的事実であるかのように読者の頭に刷り込まれていく」、「歴史の真実を検討しようとする力を無力化してきた(いいかげんな通説を全く疑うことなく信じてきた)」と説明されています。
 通説を鵜呑みにしているということに関しては、関ヶ原の戦いだけでなく、他のことについても同様だと思いますし、根本に立ち返ってもう一度一次史料に基づいての見直し作業が必要だと感じます。
 

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