関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 三成の実像2459 白峰旬氏の講演「関ヶ原の戦いを再検討する」4 関ヶ原の戦いのとらえかた

<<   作成日時 : 2018/11/20 12:27   >>

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 昨年8月20日に、佐賀県立佐賀城本丸歴史館で行われた、歴史企画「関ヶ原の戦いを再検討するー龍造寺・黒田・加藤を中心にー」において白峰旬氏は基調講演「関ヶ原の戦いを再検討する」をされましたが、その内容報告が、別府大学史学研究会『史学叢書』第48号に掲載されました。その内容紹介の続きです。
 関ヶ原の戦いのとらえかたについて、次のように述べられています。
 「政治史(政治上の権力闘争)と連動させて考えないと、その全体像が読み解きにくい」
 「これまでは家康目線(徳川史観)で権力闘争を平板にとらえすぎてい」て、「家康だけに正義(政治的正統性)がある。家康は勝って当然。江戸幕府(徳川政権)成立への一過程に過ぎない」、「しかし、家康には政治的正統性はなく、豊臣公儀(石田・毛利連合政権)から追放(放逐)されて、江戸城から動かないように命じられた(江戸に逼塞した)」と。
 この最後の点についての典拠として、「十六・七世紀イエズス会日本報告集」が挙げられていますが、このことについての白峰氏の考察については、拙ブログで以前取り上げたことがあります。
 17日に名古屋大学で行われた「織豊期研究会」のシンポジウムに、「石田三成伝」(吉川弘文館)を執筆された中野等氏が基調講演をされました(その内容については後述します)が、その最後のシンポジウムの際に、司会者の藤田達生氏が、中野氏の次のような一節を紹介され、中野氏にその見解の説明を求める場面がありました。
 慶長5年「7月29日には、家康が大坂の『三奉行』の『逆心』を知るところとなり、『会津征伐』軍の陣中に大きな衝撃が走る。家康の行軍は『公儀』権力の発動であり、豊臣秀頼に近侍して政権中枢に位置する『三奉行』の支持は、その大きな前提であった。『三奉行』が輝元や三成らに与するということは、とりもなおさず家康の行動が正統性を失うことを意味する。正統性を喪失した家康の軍勢は『賊軍』に転落し、史料上にも『徒党』と評されることとなる」
 「8月1日には伏見城が陥落する。伏見城を落とした後、宇喜多秀家・石田三成らは大坂城へ入る。ここで豊臣秀頼を推戴する二人の『大老』と四人の奉行衆が一堂に会する。8月朔日付で毛利輝元と宇喜多秀家の二大老、および長束正家・増田長盛・石田三成・徳善院前田玄以という四人の奉行衆が、揃ったかたちで連署状が発せられる」と。
 こういう中野氏の見解は、二大老・四奉行による豊臣公儀が形成され、家康の公儀性は、家康弾劾状である「内府ちかひの条々」が出されて以降、剥奪されたという白峰氏の見解に基づくものだと思われます。まさに家康は「『賊軍』に転落し」たわけで、結果的にはその「賊軍」が勝利したことになります。
 

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