関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 三成の実像2464 白峰旬氏の講演「関ヶ原の戦いを再検討する」9  9月15日の戦況

<<   作成日時 : 2018/11/25 00:21   >>

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 昨年8月20日に、佐賀県立佐賀城本丸歴史館で行われた、歴史企画「関ヶ原の戦いを再検討するー龍造寺・黒田・加藤を中心にー」において白峰旬氏は基調講演「関ヶ原の戦いを再検討する」をされましたが、その内容報告が、別府大学史学研究会『史学叢書』第48号に掲載されました。その内容紹介の続きです。
 9月15日の戦況について、「問鉄炮の話がこれまで深く信じ込まれてきたため、当日は昼頃まで戦況は膠着してきた、と理解されてきた」が、「当日の戦いに参戦した島津家家臣史料によれば、当日の昼頃(12時)には決着が付いた」、「そのため島津義弘は当日の昼頃まで戦わずに傍観してきた、とか、毛利秀元などの南宮山でも昼頃まで戦わずにじっとしていたとか(宰相殿の空弁当の逸話は勿論フィクション)といったファンタジーな話が真剣に信じられ、通説化してきた」と指摘されています。
 そうなった理由として、「小早川秀秋が当日昼頃まで松尾山でじっとしていた、という架空の話を軍記物がでっちあげた」、「この誤った時間軸にあわせるため、島津義弘も毛利秀元の南宮山も午前中は全く動かなかったという苦しいストーリーをでっちあげた」と説明されています。
 映画「関ヶ原」の原作となった司馬遼太郎氏の小説「関ヶ原」(新潮文庫)は、通説通りに描かれているために、上記の逸話もふんだんに盛り込まれています。関ヶ原の戦いに参加した武将たちの悲劇的な姿も描写される一方、「人間喜劇」的な面も描かれていますが、実際、上記のような逸話があったとするなら、コミカルな描き方になるのも無理ないところです。しかし、それらの関ヶ原の戦いの描写のほとんどが、フィクションだとしたら、全く様相が異なってきます。
 講演会では、関ヶ原の戦いの「9月15日当日、小早川秀秋が松尾山にいたとする一次史料は皆無」であり、「前日(9月14日)に小早川秀秋が松尾山城に入った、とする記載も『寛永諸家系図伝』、『寛政重修諸家譜』など後世の編纂史料(二次史料)のみである」ことから、次のように指摘されています。
 「現在の我々は9月15日当日、小早川秀秋が松尾山から動かなかったという都市伝説が頭から離れないが、実はこの話は一次史料による根拠がない話なので、今後は小早川秀秋が前日(9月14日)から当日(9月15日)どこにいたのかをゼロベースで考え直す必要がある」と。
 このことは、今月15日に高橋陽介氏の説による三成方軍勢の布陣場所を回った時にも、感じたことでした。高橋氏の説では、三成方は松尾山を志向して陣を置いたとされていますから、松尾山に秀秋が陣を置いていたということが前提で、果たしてその前提は正しいのかという思いを持ちました。

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