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zoom RSS 三成の実像2447 白峰旬氏「豊臣七将襲撃事件は単なる『訴訟騒動』」13 家康書状の「閉口」の文言

<<   作成日時 : 2018/11/07 15:09   >>

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 白峰旬氏の「豊臣七将襲撃事件(慶長4年閏3月)は『武装襲撃事件』ではなく単なる『訴訟騒動」であるーフィクションとしての豊臣七将襲撃ー」(別府大学史学研究会『史学論叢』第48号所載)の中で、前述したように、閏3月9日付の福島正則・蜂須賀家政・浅野長政宛徳川家康書状が史料として取り上げられていますが、その書状の中の、「石田治部少輔、佐和山へ閉口ニ相定」という記述の「閉口」という言葉の意味について次のように考察が加えられています。
 すなわち、「『閉口』の意味として、『日葡辞書』では『口を閉じること。また、比喩。論争に負けること、または、論争で言い詰められること。』としている。
 この『閉口』の比喩の意味からすると、石田三成は敵対する諸大名による訴訟に負けた、という意味にとらえることができ、三成が敵対する諸大名による武装襲撃(武力闘争)に敗北したという意味にはとれないことがわかる」と。
 「閉口」という言葉の意味について、「日本国語大辞典」(小学館)の中では、「@口をとじること。口をきかないこと。黙って答えないこと。」「A言い負かされたり圧倒されたりして口がきけなくなること。ことばに詰まること。言い負かされて降参すること。」「B《形容動詞》いやになること。困ること。よわること。また、そのさま。」と記され、それぞれの使用例が掲載されています。白峰氏の解釈によると、家康書状では、Aの意味で使用されていることになるわけです。
 この閏3月9日付の福島正則・蜂須賀家政・浅野長政宛徳川家康書状は、閏3月5日付の浅野長晟(幸長)宛徳川家康書状写、閏3月5日付の長岡忠興他6名宛徳川家康書状写、閏3月8日付の藤堂高虎宛徳川家康書状写と共に、中村孝也氏の「徳川家康文書の研究」の中で、豊臣七将襲撃事件に関係する一次史料として提示されているものの、「この4通には石田三成を豊臣七将が武装襲撃したという記載はない」と、白峰氏の同書で指摘されています。
 よって、当時の関連史料である「言経卿記」「義演准后日記」「舜旧記」「北野社家日記」「三藐院記」「お湯殿の上の日記」「多聞院日記」にも、家康書状にも三成が豊臣七将によって襲撃されたという記述は一切ないことがわかります。光成準治氏の「関ヶ原前夜」(NHK出版)の中で、毛利元康宛毛利輝元書状などの内容検討から、三成が七将らに対抗して毛利輝元らと結んで行動を起こそうとしたものの、頓挫してしまったことが明らかにされていますが、そもそも三成が襲撃されたということは書かれてありません。「武装襲撃事件」ではなく「訴訟騒動」であったという白峰氏の見解は十分納得できるものですし、三成と輝元らの巻き返しの動きも「訴訟騒動」の過程で起こったことというふうにも考えられます。

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