関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 三成の実像2473 白峰旬氏の講演「関ヶ原の戦いを再検討する」17 前日の毛利と家康の和平は捏造

<<   作成日時 : 2018/12/04 10:34   >>

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 昨年8月20日に、佐賀県立佐賀城本丸歴史館で行われた、歴史企画「関ヶ原の戦いを再検討するー龍造寺・黒田・加藤を中心にー」において白峰旬氏は基調講演「関ヶ原の戦いを再検討する」をされましたが、その内容報告が、別府大学史学研究会『史学叢書』第48号に掲載されました。その内容紹介の続きです。
 「吉川広家が合戦の前日(9月14日)に急遽、家康との和平を取り付けた、というのは吉川広家による完全な捏造」であり、「合戦の前日に御和平を取り付けた、とする起請文(3ヶ条)の2ヶ条目を完璧に、本物の起請文とは別の文にすり替えた(確信犯的おこない)」と指摘されています。
 具体的には、次のように論証されています。
 9月17日付の吉川広家自筆書状案の中で、「井伊直政・本多忠勝が連署して吉川広家・福原広俊に出した起請文の2ヶ条目には『惣和談不可有御別儀之事』(惣和談については御別儀がないこと)と書かれていたとしている」のに対して、9月14日付の起請文には「そのような文は全くない」、「よって、決戦の前日に吉川広家が御和平を取り付けたという話はタイミングがよすぎる出来すぎた話であり、フィクションである」、すなわち「9月14日の時点で和平は成立していない」と。
 さらに、「そもそも、吉川広家は毛利家を代表して家康と御和平を取り付けるレベルの人物ではない(そんな大物ではない)。家康も毛利家の全権委任をされていない吉川広家と御和平を盟約するはずがない」、「関ヶ原への動きでは、毛利家では安国寺恵瓊の方がはるかに大物で重要人物」、「9月14日に家康と毛利の御和平が成立したのであれば、家康は何の苦労もなく、その後、大坂城へ入ったはず」だが、「実際には黒田長政・福島正則などが家康入城前に毛利輝元と交渉して、毛利輝元が大坂城から退城したあとに家康が大坂城に入城している」とも指摘されています。
 吉川広家が和平を捏造したという白峰氏の見解は、「通説打破!関ヶ原合戦の真実」(『歴史群像』2017年10月号所載)の中で論じられ、拙ブログ記事でも紹介しました。吉川広家が和平を捏造した意図について、同書で、「家康との政治的パイプがあることを誇示して、戦後の毛利家中での主導権を掌握する狙いがあったと思われる」と指摘されています。
 安国寺恵瓊は毛利家の外交僧であり、反家康勢力結集に力を尽くした人物ですが、敗戦後は、責任を担わされ、毛利家の人身御供的な扱いで処刑されました。しかし、毛利輝元は二大老・四奉行による豊臣公儀を代表する人物であり、西国では領土を広げるべく積極的な行動をした人物ですから、本来なら輝元自身が断罪されてもおかしくない存在でした。「とかげの尻尾切り」は、今に続く日本の悪習慣だという気がしてなりません。
 
 

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