フランス文学探訪76 「チボー家の人々」3  悶え苦しむ父を安楽死させた医師アントワーヌ 

 父親のオスカールはジャックが自殺したと思い込んで体調を崩し、やがて寝たきりの生活になり、余命いくばくもない状態になってきます。その最期の姿はなんともすさまじく、見苦しいものでした。死を前にして、今までの信仰は何の役にも立たず、司祭の慰めの言葉も拒むほどでした。今までの彼の信仰が本物ではなかったという証拠ですが、司祭に模範的な死を迎えた方が後のためになると諭され、ようやく心が収まるのです。地位の高い人ほど死に際は見苦しいと、ある看護士が講演で言っていましたが、オスカールの場合も同様です。
 しかし、それだからと言って、彼のことは笑えませんし、自分も死に臨めば、慫慂として死につけるのかと言えば、その自信は全くありません。それだけ、死というものは、人知を超えた絶対的なものであり、人間を恐怖に駆り立てる最大のものです。
 オスカールは尿毒症の症状が出て、ひっきりなしに痙攣の発作が起こるようになり、苦しみにのたうち回ります。ジャックは父親の悶え苦しむ姿を見るに堪えられず、なんとか父を楽にしてくれと懇願しますし、アントワーヌ自身も同様の思いにとらわれ、ついに父親にモルヒネの注射を打って安楽死させるのです。この安楽死の問題は、やがてアントワーヌ自身の死の問題と大きく関わってきます。
 アントワーヌは自分の行為に対して、いいことをしたのだと思う一方で、悪夢から逃れたいという逃げの気持ちがあったという反省にもとらわれます。安楽死を医者が行なう危険性も彼は充分認識していましたが、一般論で片付く問題ではなく、父親に対する行為も、自分の良心に照らし合わせた結果だったと自分を納得させるのです。安楽死の問題は、今なおいろんな論議があり、すぐには解決のつかない重要な問題であり、安易に行なうことは殺人にもつながりますし、実際、患者を故意に死なせたとして、殺人罪に問われた医者の事件が日本でもありました。

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