フランス文学探訪80 「チボー家の人々」7 アントワーヌの安楽死・国際機関の必要性  

 アントワーヌは最後まで宗教にすがることはせず、司祭の言葉も受け入れませんでした。体が衰弱し、声も出なくなり、ベッドから立ち上がることもできなくなった時、最後の力を振り絞って自分に安楽死の注射を打ったのです。時に1918年11月。第一次世界大戦終戦間際のことでした。
 彼の最後の日記は、自分が死ぬまでの病状をつぶさに語っており、臨床記録として大いに役立ったでしょうし、彼もそのために記録を残したのです。私は正岡子規の「病床六尺」「仰臥漫録」に匹敵するものだと思っています。むろん、一方はフィクションであり、正岡子規のは現実に体験したことの記録ですが、病いにめげず、客観的な自分の記録を残すというのは至難のわざです。強靭な精神がなければ、できることではありません。
 アントワーヌは国際連盟を唱えるウィルソンの発言に希望を持っていました。国々がそれぞれの利害にとらわれていたから、世界大戦が起こったのであって、それをなくすためには、紛争を調停し解決することができる権限を持つ国際機関が必要であるとの見方に、アントワーヌも同意したのです。しかし、一方で、勝利目前の連合国側が、ドイツに対して過度の要求をするのではないかという危惧も持っていました。実際、戦後はその通りの事態になり、法外な賠償金を要求されたドイツが、悲鳴を上げ極度のインフレを招いて、結果的にはナチの台頭を許すことになったのです。
 アントワーヌの日記が載っている「エピローグ」が書かれたのは1939年であり、第二次世界大戦が始まった年です。国際連盟がよく機能せず、再び世界大戦を招いてしまったわけですが、そういう瓦解を作者は目の前で見ているとはいえ、やはりそういう国際機関の必要性は認識していましたし、この動乱が早く終わってほしいとの願いを込めて、アントワーヌに希望を語らせたのでしょう。思えば、不毛の二度の世界大戦でした。
 主人公のアントワーヌもジャックも共に第一次世界大戦で命を落とし、反戦の意味合いが強い大河小説と言えます。

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