フランス文学探訪94 サルトル「嘔吐」2 実存主義的なものの考え方・事物存在とは根本的に違う人間存在

 人間の存在は事物の存在とは根本的に違うということにサルトルは思い至りました。そのことを「実存は本質に先立つ」という言い方で彼は言っています。これを椅子という例で言いますと、椅子がどういう形をして、何のために使うものかというイメージ・概念をわれわれは持っています。それが椅子についての本質というものです。
 ところが、人間という存在はそれとは違うと言うのです。まず一人一人が別個のものとして存在しており、それがもっとも重要だというわけです。むろん、人間の本質というものはあるのですが、その本質より、実際に存在しているわれわれ一人一人に重きが置かれているのです。「嘔吐」のロカンタンのような考え方では、孤立化し、自己疎外の道をたどるだけであり、作者が彼に文学作品を書かせることにより、そこからの脱却をはかっています。後になりますと、サルトルは個人の連帯、政治への参加を通じて、自己解放の道を探っています。
 私の学生時代は実存主義華やかなりし頃であり、「実存が本質に先立つ」と聞いて、わが意を得たりという気になりました。自分の存在こそが第一義であり、自分が死ねば、自分にとっての世界は消滅してしまうわけですから、実存主義なものの考え方は、われわれ人間存在というものに力点を置いている以上、いついかなる時代においても通じる真理です。
 私の学生の頃には、カミュとサルトルの文学はフランス文学、いや世界文学の中でもっともよく読まれて注目を浴びていましたが、現代は彼らの文学も色褪せているという印象は拭えません。しかし、実存主義的なものの考え方は、人間が存在している限り、永遠に滅びることはありません。
(2003年09月27日 公開)

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