フランス文学探訪97  モーパッサン「手」2  手が襲うところを描写しないだけに、想像がふくらむ効果

 人間の手による犯行というのは、いかにも怪奇小説らしい趣きを備えています。ありえない話をいかに、本当らしく思わせるかが、作者の腕の見せどころですが、襲うところは全く描写せず、結果だけで示しているのが、ミステリアスで想像をたくましくさせます。手が這いまわっているところも、夢の中でしか出て来ませんし、墓の上で手が発見されたというラストシーンも不気味で効果的です。昔の怪獣映画でも、いきなりその怪獣の姿は出さずに、影を見せたり一部を見せたりして、思わせぶりなことをよくしていました。見ている方は焦らされてかえって期待感が高まったものですが、そういう手法とどこか通じるところがあります。日本映画の「リング」も、呪いのビデオを見た人々が次々と死んでゆきましたが、なかなか肝心のサダコは登場しませんでした。もっとも、この「手」を今、映画化するとすれば、手が動いて人の首を絞める場面や、床や壁を這いまわる場面は欠かせませんし、それがなければ、観客も満足しないでしょう。そのあたりが、小説と映画の特性の違いかもしれませんし、時代の推移というものも影響しているのかもしれません。
 この作品は最後の一文が効いていますが、珠玉の短編は最後が命と言ってもいいほどで、落語でいうオチみたいなものが付いている作品もあります。同じモーパッサンの「首飾り」という作品は、とりわけ、最後にあっと言わせるオチが用意されています。

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