受贈御礼 白峰旬氏「慶長4年閏3月の反石田三成訴訟騒動に関連する毛利輝元書状(『厚狭毛利家文書』)の解釈について」1 三成の実像2693 

白峰旬氏より最近の玉稿をご恵贈賜わりました。この場を借りてお礼申し上げます。
このうち、「慶長4年閏3月の反石田三成訴訟騒動に関連する毛利輝元書状(『厚狭毛利家文書』)の解釈について」(2019年発行『別府大学大学院紀要』第21号所収)は、いろいろと興味深い内容が含まれており、自分自身、考えを改める必要性を感じました。
 「反石田三成訴訟騒動」とは、従来、「七将による石田三成襲撃事件」と言われてきたものであり、関ヶ原の戦いを扱った小説やドラマで、必ずと言っていいほど出てきます。この通説に対して、七将らは三成に対して「武装闘争」をしたわけではなく、三成を切腹させようとする「訴訟騒動」だったという見解が、水野伍貴氏や白峰氏によって明らかにされましたし、そのことは拙ブログで取り上げました。
 光成準治氏の「関ヶ原前夜」(NHK出版)には、「厚狭毛利家文書」の毛利輝元書状をもとに、このいわゆる「石田三成襲撃事件」についての詳細な経緯が論じられていますが、光成氏の同書で取り上げられている6点の輝元書状のうち、4点は「石田三成襲撃事件」の時のものではなく、慶長5年のものであり、2点だけが「石田三成襲撃事件」実は「反石田三成訴訟騒動」の時のものだと、白峰氏によって指摘されています。その4点については、後述しますが、まず「反石田三成訴訟騒動」の時のものということが確実な書状についても、新たな見解が示されていますので、先にその方を紹介させてしただきます。
 光成氏の同書でD文書とされている書状について、白峰氏の同書では、まず次のように説明されています。
 「石田三成の身上について、毛利輝元が正式な『あつかい』(=調停)を三人衆(=三奉行[増田長盛・長束正家・前田玄以])へ申し渡した、としている。このことから、この件の『あつかい』(=調停)を取り仕切ったのは毛利輝元であったことがわかり、その点は重要である。毛利輝元は大老としてこの件を調停したと思われるので、三人衆とは五奉行のうちの3人(増田長盛・長束正家・前田玄以)と考えられる」
 「その結果、石田三成一人が佐和山へ隠居することになり、三成は『天下事』には『存知』がないように、ということになった、としている」
 「増田長盛についても皆々は種々言っているが、(今は)石田三成一人の(隠居で)済むであろう、との内意である、としている。この場合の『内意』は輝元自身の内々の考え、という意味であろう。光成本では、この内意について『家康の決定を指す』(光成本、36頁)ととらえているが、家康の内意であれば、『御内意』となるはずであろう」と。
 家康が調停したということが通説のようになっていますが、調停したのは輝元だったという新たな見解が示されているわけです。
 
 
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