旅行記178 小倉旅行12 関門連絡船で下関へ・日清講和記念館・李鴻章道

DSCN1052.JPG 門司港から連絡船に乗って下関に向かいましたが、宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘したことで有名な巌流島行きの船も出ています。天気がよければ、巌流島にも足を運びたかったのですが、雨がちの天気なので、下関を訪ねることを優先しました。船は平日なので、空いていました。所要時間5分ですから、すぐに着きますが、関門海峡を渡っているという実感はありました。昔は本州と九州は船でしか結ばれていなかったということを改めて知る思いでした。
下関へは石田三成も何回か訪れています。最初は、九州攻めの折、立ち寄っていますし、文禄の役の折もそうです。また秀吉の死の直前に筑前・筑後の代官を務めるのに九州に行った際、秀吉の死の直後に朝鮮半島からの撤兵を円滑に進めるために博多に行った際も、下関を経由しています。この頃は、下関ではなく、赤間関と呼ばれていました。
 DSCN1054.JPG 下関の唐戸ターミナルに着いた時には、雨が降っており、関門橋や壇之浦古戦場跡まで歩いて行けるか不安でしたが、幸い10分もしないうちに止みました。車道沿いに、亀山八幡宮の前を通り(帰りに寄りましたが)、日清講和記念館のところへ行きました。
 DSCN1061.JPGDSCN1071.JPG 日清講和記念館は、あいにく工事中でした。日清戦争の講和会議が行われた料亭「春帆楼」の隣に建っており、講和会議の様子などが再現されています。日本側は伊藤博文・陸奥宗光たち、清国側は李鴻章たちでした。
 DSCN1064.JPG 講和がまとまるまで、1ヶ月近くかかりましたが、その途中、李鴻章が日本人青年に狙撃される事件が起こり、それ以来、李鴻章は大きな道を避け、山沿いの 狭い道を通り、「春帆楼」まで行き来しました。その道が「李鴻章道」と名付けられていますが、私もこの道を歩いてみました。民家が並び、関門海峡を見晴らすこともでき、なかなか風情のある道でした。

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