「巻雲短歌会」創設50年2 植村紀子先生追悼号・追悼歌・先生の遺志を継いで今後も会を運営

DSCN7944.JPG 「巻雲短歌会」二代目主宰者の植村紀子先生の追悼号を出したのは、今年の1月です。奈良支部長だった三嶋健男氏と私の二人で編集し発行しました。数ヶ月かけて、三嶋氏と分担して短歌作品、追悼文、追悼歌の入力、編集、校正などを時間をかけて行いましたが、それが雑誌となって出来上がって来た時には、感慨と安堵感を覚えました。遺族の方によって、紀子先生の霊前に、追悼号をお供えしていただきましたから、先生も喜んでおられたに違いありません。
 一時は短歌会の解散も考えていたのですが、それでは会を創設された植村武先生にも、跡を継がれた紀子先生にも申し訳ない気がして、三嶋氏と私が共同代表となって、細々とながら、今後も会を続けていくことになり、義務を果たしたような気持ちになります。むろん、これからの会の活動が大事で、できるだけ長く会を存続させてゆく責任があり、心を引き締めてかからねばならないのですが。
 現在、次号の発行に向けて、その準備に取りかかっています。「巻雲」が結成されて50年経つので、その歴史を文章に綴っている途中です。なにしろ、最初から「巻雲」に所属し、「巻雲」の歴史を知っているのは私だけですから、それを書く義務があると思っています。特に「巻雲」を創設された武先生のことを知っている現在の会員はごくわずかです。先生の人となり、大阪市立天王寺中学校文芸部の顧問をされていた時代のことなども述べたいと思っていますし、「巻雲」の作家精神が、巻雲の伝統に則(のっと)った「具体的意識の具体的表現」だということも記すつもりです。
 次の歌は「巻雲短歌会」の主宰者の植村紀子先生のご逝去を詠んだ作品の一首で、追悼号に載せました。

 新緑のなぜにまぶしき短歌会に思ひを残し師の逝きたまふ

 紀子先生は中学校の国語の教員を中途退職して、短歌会のために尽力されました。歌誌の発行も、先生を中心に定期的に行われていました(編集作業や校正などは私も何回か手伝いました)が、先生の病気のために、ここ数年は出せない状況でした。追悼号が四年ぶりの発行となりましたが、第143号になります。半世紀を経て、これだけの号を出し続けてこられたことに、改めて驚異の念を持つと共に、大いに感謝しています。

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この記事へのコメント

加藤史江
2020年05月04日 10:32
久富先生。

 こんにちは。私、以前巻雲短歌会に所属し、郡山教室で植村紀子先生にもお世話になっておりました、木津川市在住の加藤史江と申します(巻雲119〜123掲載)。会に入った後、実は住吉高校38期として、久富先生の国語の授業を受けていたということもあり、会報誌でお名前を拝見してご縁を感じておりました。子育てや仕事で途中で退会してしまいましたが、数年前から、また短歌を始めたいという思いが強くなり、今日、久富先生のこのページを見つけてメールをさせていただきました。

 紀子先生がお亡くなりになられたこと、はじめて知りました。大変残念ですが、私なりにお教えいただいたことを言葉に紡いでいけたらと思っております。また、巻雲短歌会の会員になり、短歌添削のご指導を仰ぎたいです。会の現状もあまりわかっておりませんが、一度ご検討のほどお願いできますでしょうか。コロナ禍で大変な時、くれぐれもご自愛ください。

加藤史江
林 景一
2020年09月13日 07:01
まさかと思いながら、巻雲、短歌、同人誌のキーワードで検索したら、この一年前の記事がありました。私は、1965年頃、大阪市立天王寺中学で植村武先生から国語の授業を受けた者です。恥ずかしながら、卒業後に先生からのお誘いで『巻雲』に投稿させていただいたこともあります。丁寧に赤字で添削してご指導いただいたにも拘わらず、受験や学生生活にかまけて続かなったことを申し訳なく、また残念に思っています。先生から頂いた『青波』と『凌霄』という歌集は今でも座右にあります。おぼろげで断片的な思い出ですが、先生からは、ソ連で短歌がロシア語に翻訳されて出たこと、桑原武夫の第二芸術論への反論、自然に詠む万葉の姿勢が重要なことなどをお話されいたことを覚えています。子供たちに、国語だけでない何かを伝えたい、教えたいという熱情を感じる先生でした。西ノ京だったでしょうか、お宅にもお邪魔したことがあります。
以上、駄文ですみません。つい懐かしく、また先生のご遺志を継いだ活動が50年以上続いていることに感動して、感謝したい思いで、コメントしました。コロナにも負けず、ご盛会、ご発展が末永く続くことを念じております。
石田世一
2020年09月13日 18:01
ご丁寧なコメント、ありがとうございます。お名前、巻雲誌上で覚えております。今までの巻雲誌を改めて見てみましたら、初期の頃は毎号のようにお歌が掲載されていますね。27号の年間作品選集にも載っていますね。意欲的に活動されていたことがよくわかります。
 当方はこの時期はほとんど歌が詠めず、本格的に作歌活動を始めたのは、大学4回生以降で、42号ぐらいからです。
 西ノ京の武先生の家で歌会が行われていた時には、何回か出席したことがありますので、ひょっとして同席していた時もあるかもしれません。先生の家には現在、先生のご子息が住んでおられます。
 初期のメンバーでは、三嶋氏と私しかいませんので、時代の変遷を感じています。武先生、紀子先生の遺志を継いで、できるだけ巻雲誌を継続させていかねばならないと思っています。もっとも、会員はどんどん高齢化していき、会員数も減っていますので、どれだけ続けられるかはわかりませんが。
 拙ブログも毎日更新していますので、また御覧いただければと思います。今後ともよろしくお願いいたします。
 

林景一
2020年09月26日 23:59
コメント頂きありがとうございました。世代の移ろいは避け難いですが、少しでも長く植村武先生のご遺志、ご遺徳が伝わっていきますよう念じております。SNSの時代だからこそ、短い言葉で長文に優る感動を伝えることができる短歌に魅力を感じる若者も出てくることを期待します。
久富利行
2020年09月27日 11:12
重ね重ねのコメントありがとうございます。巻雲短歌会は、植村武先生の遺志を受け継ぎ、古典文法・古典かな遣いを踏襲していますから、若者はとっつきにくいようで、新しい会員はなかなか望めないのが現状です。私自身は、歌集の中で、実験的試みとして口語短歌や大阪弁短歌を詠んでいるのですが、巻雲誌には載せていません。俵万智さん以来、若者短歌は口語が主流ですから。あとを継いでくださる人も見つからず、あと何年続けられるかはわかりませんが、できるだけ続けたいと思っています。