旅行記189 出雲旅行5 出雲大社の一の鳥居から四の鳥居まで・四の鳥居(銅鳥居)は毛利輝元が最初に寄進

DSCN7455.JPGDSCN7449.JPGDSCN7446.JPGDSCN7447.JPGDSCN7439.JPG  旧大社駅が駅として機能していた時には、宇迦橋を渡り、一の鳥居である宇迦橋の大鳥居を通って、神門通りを歩き、二の鳥居である勢溜(せいだまり)の大鳥居、祓橋(はらえのはし)、三の鳥居である松の参道の鳥居、四の鳥居である銅鳥居をそれぞれ通って、出雲大社にお参りできたわけです。 
 今は一畑電車の出雲大社前駅は一の鳥居の内側にありますから、厳密に言えば途中からの参詣になりますが、国鉄・JRと一畑電車の両方の路線が共存していた時には、国鉄・JRの方が正式の参拝道という認識があったのでしょうか。それとも、一畑電車の方が参拝する距離は短縮されますから便利だという認識の方がまさっていたのでしょうか。少し気になるところです。
 銅鳥居は最初、毛利輝元が寄進したものですが、天正8年のことですから、本能寺の変の2年前です。この時、輝元は出雲国も領有していました。しかし、関ヶ原の戦いの後、輝元は周防・長門の二ヶ国の領有に減封され、毛利一門の一族で出雲を領有していた吉川広家も岩国に転封となりす。今の銅鳥居は、江戸時代の寛文6年(1666)に輝元の孫の毛利綱広が作り直したものですが、出雲は領地ではないものの、輝元が寄進した鳥居なので、その意向を引き継いで、毛利家が担当したのでしょう。
 

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