旅行記197 小倉旅行19 下関の赤間神宮の「芳一堂」 日本文学探訪 小泉八雲「耳なし芳一」・八雲の来日・漱石との関係

 DSCN1093.JPG 小泉八雲の小説、「耳なし芳一」の舞台となった、赤間神宮の「抱一堂」を7月の下関散策の時に訪ねました。小説では、阿弥陀寺として出てきます。盲目の琵琶法師の抱一が、知らずに安徳天皇の墓地に連れていかれ、「平家物語」の壇ノ浦の一節を、滅亡した平家の怨霊たちに聴かせたところ、怨霊に気に入られ憑りつかれてしまいます。それを知った和尚が芳一を救うべく、芳一の体全体にお経の文句を書いて連れていかれないようにしたものの、耳だけはお経を書き忘れ、怨霊にその耳をちぎられて持っていかれたというものです。
 首を斬られる話と云い、耳をちぎられる話と云い、凄惨な場面ですが、強烈なインパクトがあります。
 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の父はアイルランド出身の軍医ですが、アイルランドは当時独立していなかったため、八雲もイギリス国籍を取得しています。母はギリシャの出身で、八雲も生まれたのはギリシャですが、2歳でアイルランドに行った後、イギリスとフランスでカトリックの教育を受けます。しかし、彼はその教育に疑問を感じています。16歳の時に、遊んでいる最中に、事故で左目を失明します。19歳の時にアメリカに移民として渡り、ジャーナリストになり文筆活動に励みます。日本に興味を持ったのは、万博で触れた日本文化と、「古事記」の英訳を読んだことがきっかけで、39歳の時に来日し、松江の島根県尋常中学校に英語教員として赴任します。6年後に松江の士族の娘のセツと結婚し、日本に帰化します。松江で山陰地方の風土に触れたことで、怪談などに興味を持ち、それを次々に小説をしていくわけです。 
 なお、八雲は帝国大学文科大学講師として英文学を教えますが、その後任に就いたのが、夏目漱石でした。もっとも、学生の間では八雲人気が高く、八雲留任運動が起こりますし、漱石の講義も堅苦しく生徒には不評でした。
 

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