旅行記205 11月2度目の近江旅行7 石田三成の実像2773 徳源院・京極家墓所

DSCN7986.JPGDSCN8000.JPG 11月24日、米原市の成菩提院での三成会議のイベントは午前中だったので(谷口徹氏の講演「石田三成と十三ヶ条掟書」の内容については後述します)、その後、一人、京極家の墓所がある徳源院を訪ねました。歩いて二十分余りですが、何年か前にも訪ねたことがあります。紅葉を見に来ている人々もいましたが、はや散り始めていました
 DSCN7991.JPG 京極家初代の氏信が、鎌倉時代に菩提寺として清瀧寺を創建しましたが、浅井氏の台頭により衰微していたのを、江戸時代に22代の丸亀藩主の高豊が寺を再興して徳源院と名を改めました。墓所には、初代から25代の供養塔、分家の多度津藩の藩主の供養塔が建っています。
 DSCN7990.JPG19代の高次は京極家の中興の祖とされており、そのためか墓は石製の霊屋になっています。高次は浅井三姉妹の次女のお初と結婚しましたが、関ヶ原の戦いの際、大津城に籠城し、家康側に付きました。三成ら豊臣公儀軍に属する毛利元康や立花宗茂らが大津城攻撃に加わったため、彼らは関ヶ原の戦いに間に合いませんでした(高次が開城を受け入れ、城を明け渡しのが9月15日で、関ヶ原の戦い当日でした)。その功績が家康に認められ、戦後、高次は若狭一国を与えられます。もっとも、大津城は長等山から豊臣公儀軍からの激しい砲撃を受けたため、位置的によくないとして、廃城になり、膳所城が新たに作られました。
 DSCN7998.JPG ばさら大名として有名な佐々木道誉も京極氏で、その供養塔もあり、ゆかりの道誉桜の木が境内にあります。
 この後、柏原宿を散策しましたが、ここも何年かぶりのことです。

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