石田三成の実像2769 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」34 「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」1…

 白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)の、 第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」の中で、慶長5年8月29日付で、家臣の松沢喜右衛門尉・丸山半右衛門尉・吉川織部佑に宛てた保科正光書状が取り上げられていますが、その内容の続きです。  この書状について、次のような記載があります(現代語訳)。 「大垣(城)に籠…
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京都探訪301 大学時代からの友人と西大谷本廟・清水寺・円山公園・知恩院などを散策

  先週の水曜日、福山で寺の住職をしている、大学時代からの友人N君と一年半ぶりに会いました。NHK京都の文化センターで仏教に関する講座を受講するために京都に来たので、四条通りにある文化センターで待ち合わせをしました。講座が正午までだったので、そのあと寺町通の店で食事をし、タクシーで西大谷本廟まで行きました。寺で必要なものを買うためですが…
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旅行記201 今月2度目の近江旅行3 石田三成の実像2768 いしだみつにゃん誕生祭・田附清子氏の講演「三成の歌~…

 23日の午後に彦根の佐和山会館で行われたいしだみつにゃんの誕生祭は、しまさこにゃん、おおたににゃんぶとの三将ならぬ三にゃんのそろい踏みで、佐和山のろし駅伝にも参加した甲冑隊や辰姫も付き添い、バースディーケーキがみつにゃんにプレゼントされ、会場にいた全員にもそのケーキが分けられてふるまわれました。みつにゃんにプレゼントを持ってくる人々も…
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旅行記200 今月2度目の近江旅行2 石田三成の実像2767 佐和山城跡でののろし駅伝

 昨年と同様、23日に行われた佐和山城跡ののろし駅伝、午後の佐和山会館でのいしだみつにゃんの誕生祭に参加しました。例年は山頂は寒い(4日に登った時も風が吹いて寒く、あまり長居はできない状態でした)ので、厚着をして登ったのですが、今日は天気がよく気温が上がり汗をかくほどでした。のろしが上がったのはちょうど正午で、三成の旗印が描かれた幕がか…
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石田三成の実像2766 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」33 大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」13…

白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)の、 第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」の中で、慶長5年8月29日付で、家臣の松沢喜右衛門尉・丸山半右衛門尉・吉川織部佑に宛てた保科正光書状が取り上げられていますが、その内容の続きです。  この書状について、次のような記載があります(現代語訳)。  「豊臣公儀の軍勢(…
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旅行記199 今月2度目の近江旅行1 石田三成の実像2765 妙源寺の山門・芹川のケヤキ道・宗安寺の赤門・木村重成…

また二泊三日で彦根に行ってきました。11月になって2度目です。23日は佐和山城でのろし駅伝、午後はいしだみつにゃんの誕生祭、24日は米原市柏原の成菩提院で三成会議主催の、三成を主人公にした甲冑劇、谷口徹氏の講演会「石田三成と十三ヶ条掟書」が行われ、それらに参加するためでした。  22日に泊まったホテルは、芹川沿いにあり、妙源寺の近くで…
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受贈御礼 高橋陽介氏の書評報告「本多隆成氏『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』」1 石田三成の実像2…

 高橋陽介氏より書評報告「本多隆成氏『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』」(『地方史研究』398号、2019年)をご恵贈賜りました。本多氏の同論考も併せてお送りいただきました。この場を借りてお礼申し上げます。この高橋氏の書評報告は織豊期研究2019年10月例会で発表されたものです。  小山評定とは、上杉攻めに向った家康が…
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旅行記198 出雲旅行9 松江城の興雲閣・大正天皇の皇太子時代の御宿所

松江城の二の丸に建っている興雲閣も趣きがありました。鳥取城跡の一角に建つ仁風閣と似たような雰囲気があります。もっとも仁風閣には、そばに庭園があり、その眺めも美しいのですが、興雲閣には庭園はありません。  興雲閣は、松江市工芸品陳列所として明治時代に建てられました。もともと、明治天皇の行在所(あんざいしょ)として使うのに建てられたため、…
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石田三成の実像2763 中井俊一郎氏の講演「三成研究最前線 主に三成最期の500日に関して」5 関ヶ原合戦での論点 

2日に米原市観音寺の三成ブックカフェで行われた中井俊一郎氏の講演「三成研究最前線 主に三成最期の500日に関して」の中で、関ヶ原合戦についての論点についてもいろいろ挙げられていました。  まず西軍の首謀者は三成ではなく、名実ともに毛利輝元とする指摘があり、研究者の間ではそれが主流になっていると説明されていました。しかし、西軍の構成が三…
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旅行記197 小倉旅行19 下関の赤間神宮の「芳一堂」 日本文学探訪 小泉八雲「耳なし芳一」・八雲の来日・漱石との…

  小泉八雲の小説、「耳なし芳一」の舞台となった、赤間神宮の「抱一堂」を7月の下関散策の時に訪ねました。小説では、阿弥陀寺として出てきます。盲目の琵琶法師の抱一が、知らずに安徳天皇の墓地に連れていかれ、「平家物語」の壇ノ浦の一節を、滅亡した平家の怨霊たちに聴かせたところ、怨霊に気に入られ憑りつかれてしまいます。それを知った和尚が芳一を救…
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石田三成の実像2762 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」32 大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」12…

白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)の、 第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」の中で、慶長5年8月29日付の、江戸にいる家臣の黒河内長三に宛てた保科正光書状が取り上げられていますが、その内容の続きです。  この書状について、次のような記載があります(現代語訳)。  「去る(8月)22日・23日、合渡(川)…
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旅行記196 出雲旅行8 松江の「蓬莱吉日庵」の「魚一復刻ランチ」

 松江散策の際の昼食は、松江城を見学する前に取りましたが、城の南に位置する「蓬莱吉日庵」で、情報誌に載っていた店です。母屋は明治時代に建てられたもので、昭和の最初に離れが増築され、料亭「常乃家」として創業されました。 松の間のテーブル席で広い庭の風情を楽しみながら食べました。頼んだのは、リーズナブルな価格の「魚一復刻ランチ『湖月』…
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石田三成の実像2761 中井俊一郎氏の講演「三成研究最前線 主に三成最期の500日に関して」4 三成引退後の政局

2日に米原市観音寺の三成ブックカフェで行われた中井俊一郎氏の講演「三成研究最前線 主に三成最期の500日に関して」の中で、秀吉死後の政治闘争について、石田三成が佐和山に退いた後、前田派VS家康派・三成派という構図が生まれたという指摘があるものの、良質の史料にはないので検討の必要があると述べられていました。  この点について、三成が家康…
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旅行記195 近江旅行4 「きのもと交遊館」・冨田酒造の「七本鎗」

滋賀県に行けば、「七本鎗」という日本酒を飲むことがよくあるのですが(三成祭の時は「石田三成」なる日本酒ですが)、木之本町の冨田酒造が作ったものであることを、今回、「きのもと交遊館」を訪ねて初めて知りました。冨田酒造について館の人に丁寧に説明していただきました。京極家の血を引く人が、天文年間にこの地で造り酒屋を開業して480年余りというこ…
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石田三成の実像2760 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」31 大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」11…

 白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)の 第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」の中で、慶長5年8月29日付の保科正光書状が取り上げられており、その内容について大事だと思われる点について触れてきましたが、これまで紹介してきたものは、「浜松城にいる保科正光が、江戸にいる家臣の黒河内長三に宛てた書状」ですが、もう一…
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旅行記194 近江旅行3 賤ヶ岳の戦いの際、秀吉の本陣となった木之本地蔵院

4日にオンライン三成会の人と佐和山に登りました(そのことについては後述します)が、その後、米原駅で別れ、一人で木之本駅まで行きました。数年前に木之本で講演会があった時、木ノ本駅に降り立ったことがあり、その時は駅の北にある黒田家御廟所を訪ねました。今回は駅の東にある木之本地蔵院や「きのもと交遊館」などを訪れました。そのずっと東に行ったと…
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石田三成の実像2759 中井俊一郎氏の講演「三成研究最前線 主に三成最期の500日に関して」3 七将襲撃事件の論点2

2日に米原市観音寺の三成ブックカフェで行われた中井俊一郎氏の講演「三成研究最前線 主に三成最期の500日に関して」の中で、慶長4年閏3月に起こった七将による石田三成襲撃事件についての論点についても述べられていましたが、その続きです。  「三成は伏見のどこに行ったのか?」ということに関して、小説やドラマでは三成は家康の屋敷に逃げ込んだと…
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旅行記193 出雲旅行7 小泉八雲記念館・小泉八雲旧居 小学生の時に強い印象を受けた短編小説「かけひき」

 松江散策は、松江城の北側に出て、堀のそばにある小泉八雲記念館とその隣の小泉八雲旧居へと回りました。  小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)はギリシャ生まれのイギリスですが、明治23年に英語教師として来日し、松江に赴任します。元松江藩士の娘のセツと結婚し、この旧居で半年間、新婚生活を送りました。この後、熊本に移り、さらに神戸・東京に居を移…
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石田三成の実像2758 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」30 大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」10…

白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)の、 第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」の中で、慶長5年8月29日付の保科正光書状が取り上げられており、その内容について大事だと思われる点について触れています。  書状の中に、「佐竹義宣・上杉景勝も少しは手出しをするのではないか」という記述があります。  この記述につ…
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旅行記192 出雲旅行6 松江城・松平神社・興雲閣・堀尾吉晴

 出雲旅行の3日目は松江散策に行ってきました。前日と同じく一畑電鉄に乗りましたが、松江しんじ湖温泉駅まで一時間程かかりました。曇り空でしたが、時々日が差し、前日とはうって変わった天候でした。まず松江城に行きましたが、天守だけでなく、城内の松平神社の隣に建つ、明治天皇の御宿所として作られた興雲閣のたたずまいも趣きがありました。  天守は…
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石田三成の実像2757 中井俊一郎氏の講演「三成研究最前線 主に三成最期の500日に関して」2 七将襲撃事件の論点

2日に米原市観音寺の三成ブックカフェで行われた中井俊一郎氏の講演「三成研究最前線 主に三成最期の500日に関して」の中で、慶長4年閏3月に起こった七将による石田三成襲撃事件についての論点についても述べられていました。  そもそも、七将の武装襲撃はなく、集団訴訟であったという見解が水野伍貴氏や白峰旬氏によって出されていること、確かに一次…
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石田三成の実像2756 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」29  第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーシ…

白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)の、 第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」の中で、慶長5年8月29日付の保科正光書状が取り上げられており、その内容について大事だと思われる点について触れています。  書状の中に佐竹義宣・上杉景勝が攻めてくる場合のことについて、次のような記述があります。  「佐竹義宣より…
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旅行記191 近江旅行2 蒲生野で詠まれた額田王と大海人皇子の贈答歌 船岡山の歌碑・陶板レリーフ

今回の近江旅行は、1日の昼に彦根に到着し、ホテルに荷物を預けてから、近江鉄道で市辺駅へ行き、蒲生野あたりを回ってきました。天智7年、蒲生野で薬猟(【くすりがり】男は鹿の新たに生えかわった角をとり、女は薬草をとる行事)をした際、かつての恋人同士であった額田王(ぬかたのおおきみ)と大海人皇子(後の天武天皇)との間で次のような歌が交わされたと…
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石田三成の実像2755 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」28  第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーシ…

白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)の、 第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」の中で、慶長5年8月29日付の保科正光書状が取り上げられており、その内容について大事だと思われる点について触れています。  書状の中に次のような記述があります。  「もし万々一、美濃口に向い(敵が)後詰をしたならば、大垣の城が落…
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旅行記190 近江旅行1 四日間の概要 石田三成の実像2754 中井俊一郎氏の講演「三成研究最前線 主に三成最期の…

 1日から4日まで、彦根・米原・長浜方面に行ってきました。彦根のホテルに3泊しました。三成関係のイベントが連日あったからですが、1日は昼に彦根入りし、午後は三成に関係ないものの、蒲生野まで行ってきました。「万葉集」に出てくる額田王と大海人皇子(後の天武天皇)の相聞歌の舞台となったとされる場所ですが、このことについては後述します。  2…
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旅行記189 出雲旅行5 出雲大社の一の鳥居から四の鳥居まで・四の鳥居(銅鳥居)は毛利輝元が最初に寄進

  旧大社駅が駅として機能していた時には、宇迦橋を渡り、一の鳥居である宇迦橋の大鳥居を通って、神門通りを歩き、二の鳥居である勢溜(せいだまり)の大鳥居、祓橋(はらえのはし)、三の鳥居である松の参道の鳥居、四の鳥居である銅鳥居をそれぞれ通って、出雲大社にお参りできたわけです。   今は一畑電車の出雲大社前駅は一の鳥居の内側にありますから…
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石田三成の実像2753 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」27  第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーシ…

 白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)の、 第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」の中で、慶長5年8月29日付の保科正光書状が取り上げられており、その内容について大事だと思われる点について触れています。  書状の中に、「大垣(城)に籠っている軍勢が二万余いる、とのことなので、(大垣城のような)小城にて、そのよ…
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旅行記188 出雲旅行4 大正ロマンただよう旧大社駅

一畑電車の出雲大社前駅は一の鳥居の北側の神門通りの途中にありますが、旧大社駅は一の鳥居からさらに南まで歩いて十分程かかります。しかし、雨の降る中、行ってみた価値は大いにありました。平成2年にJR大社線が廃止されるまで実際に使われていた駅で、駅舎もホームも線路も残されており、当時の雰囲気をしのぶことができます。駅が開業したのは明治時代末で…
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石田三成の実像2752 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」26  第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーシ…

 白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)の、 第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」の中で、慶長5年8月29日付の保科正光書状が取り上げられており、その内容について大事だと思われる点について触れています。。  書状の中に、大垣城の三成方の軍勢が少ないので毛利勢が後詰をする可能性が低いことについて言及されているの…
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旅行記187 出雲旅行3 出雲そば「淡雪」 出雲ぜんざい ぜんざいの由来

出雲大社を参詣した後の昼食は「そば処 かねや」で取りました。勢溜の大鳥居から神迎の道を西に歩いて十分程かかりましたが、行っただけの値打ちはありました。温かいそば「淡雪」を注文しましたが、雨に濡れて体が冷え切っていたので、ほっと一息つけました。卵とろろ、のり、紅葉おろしが入っており、出汁と相まってそばの味を引き立てていました。出雲そばは前…
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