石田三成の実像2771  高橋陽介氏の書評報告「本多隆成氏『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』」2 家康の居所をめぐって 

高橋陽介氏の書評報告「本多隆成氏『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』」(『地方史研究』398号、2019年)の中で、通説では家康が諸将と小山評定を開き、上杉攻めを中止して上方にいる三成らを討つことを決めたとされる日には宇都宮に在陣していたとする白峰氏の見解について、家康が江戸を出発してから再び江戸に戻るまでの15日までの日程とその根拠史料を次のようにまとめられています。
 「7月21日 江戸発
  7月22日 不明
  7月23日 不明
  7月24日 不明
  7月25日 不明
  7月26日 宇都宮在(7月26日付徳川家康書状)
  7月27日 宇都宮から小山へ移動(7月27日付榊原康政書状)
  7月28日 小山在(7月28日付徳川家康書状)
  7月29日 小山在
  7月30日 小山から宇都宮へ移動
  8月 1日 宇都宮在(8月2日付徳川家康書状2通、8月7日付徳川家康書状)
  8月 2日 宇都宮在
  8月 3日 江戸へ移動
  8月 4日 江戸へ移動
  8月 5日 江戸着」
 本多氏はこの白峰氏の根拠となる史料に検討を加えた結果、「家康は7月28日まで小山に在陣しており、7月25日に小山で何らかの談合・評定を行うことは十分可能であった」と結論付けられています。
 具体的には、根拠史料の7月27日付と7月28日付の書状にある「此方」「此表」という表現が、白峰説では宇都宮を指しているのに対して、本多説では必ずしも宇都宮を指しているものではないと指摘されています。本多氏のこの見解の論拠として、8月7日付の伊達政宗宛徳川家康書状の「当表之儀、中納言宇都宮差置」という記載が挙げられ、このことから上記の書状の「此表」も「江戸から宇都宮あたりまでを含む関東方面を指していることになり、宇都宮とは断定できず」、「此方」も同様に考えられると指摘されています。
 文言一つの解釈の違いで、家康の居所が変わってくるわけです。

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