石田三成の実像2774 谷口徹氏の講演「石田三成と十三ヶ条掟書」1 農民支配の集大成

11月24日に米原市柏原の成菩提院の本堂で行われた谷口徹氏の講演会「石田三成と十三ヶ条掟書(おきてがき)」の中で、三成が湖北四郡19万4000石を領する佐和山城主になったのは、文禄4年(1595)8月、三成が領内に掟書を発布したのは、翌文禄5年3月1日のことであり、この掟書は、「豊富な検地奉行の経験などを通して民心を熟知した石田三成が、晴れて城持ち大名となって試行した農民支配の集大成」だと説明されていました。
 この講演では、実際に成菩提院村に出された掟書について、具体的に一ヶ条ずつ見ていき、解説されていったのですが、まず、その内容について、次のようにまとめられていました。
 「かな文字を多用し内容をかみ砕くなど、農民にも読みやすい配慮がなされている」
 「農民が必要以上の夫役(ぶえき)を担ったり、家臣が無理に人夫を徴用することを禁じている」
 「『目安(めやす)』の文字が二ヶ所にあり、代官などの取次を経ないで直訴することを認めている」
 「民心を熟知した細やかな配慮がなされており、各武将が領内に出した掟書としては類を見ない長文となっている」と。
  むろん、掟書は「農民支配」ということが目的ですから、三成はあくまで領主としての立場で発しているわけで、農民に対して「細やかな配慮」をしつつも、厳しい面もあったのは事実です。この点について、中井俊一郎氏の「石田三成からの手紙」(サンライズ出版)の中で、次のように記されています。
 「細かな厳しい基準を作ることは、領民に取ってみれば良いことばかりではないだろう。掟書を読んでも、三成は決して甘いだけの領主ではないことが分かる。ただ一方で三成の原理原則を貫く姿勢が、領民に信頼感を与えたことも間違いない」と。
 この場合の「原理原則を貫く」ということについて、「公平性を保つということでもある」と中井氏の同書で説明されています。「公平性を保つ」という点、「直訴することを認めている」という点などが領民に評価されて、三成は信頼感を得たのではないでしょうか。
 いまだに三成は横柄、冷酷、人望がないなどという悪いイメージでとらえがちですが、書状やこういう史料に当たってみると、そうではないことがよくわかってきます。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント