旅行記212 オンライン三成会の人々との徳島・淡路島旅行7 洲本城1 脇坂安治が総石垣の城に

DSCN8756.JPGDSCN8754.JPGDSCN8759.JPGDSCN8758.JPG 洲本市立淡路文化史料館を見た後、車で山上にある洲本城へ行きました。車で大手門跡、馬屋(月見台)のところまで行けます。馬屋のところからも眺望がよくききます。近くには、日月の池もありますが、このあたりが東の丸です。
 案内説明版を見ても、城の大きさがわかりますし、実際、東西にひろがる城跡を時間をかけて見て回りました。本丸、天守台から、少し離れた西の丸の方へ行き、そこから再び本丸の方へ戻り、今度は東にある広い武者溜を見、東の丸二段曲輪、東の丸高石垣へも回りました。北側には登り石垣が二ヶ所ありますが、ここは歩けそうにありませんでした。登り石垣は、朝鮮半島で日本軍が倭城を築城した際、防御のため作っていますが、脇坂もそのやり方を洲本城でも踏襲したのかもしれません。脇坂は朝鮮出兵の際、水軍を率いて戦っています。なお、洲本城には南の丸もありますが、そこは行きませんでした。
 洲本城は紀州の水軍を率いていた安宅氏によって作られたと云われていますが、秀吉が淡路を攻めた後、仙谷秀久が城主となって、四国攻めの拠点としました。その後を引き継いだのが、脇坂安治であり、現在の総石垣の城にしたとされています。脇坂は関ヶ原の戦い(白峰氏の見解では山中の戦い)で三成方豊臣公儀軍を裏切った武将ですが、戦後、本領を安堵されます。その後、伊予国大洲に加増移封されます。脇坂家の子孫は信濃国飯田、播磨龍野に転封となりましたが、幕末まで龍野藩主として存続しています。

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