旅行記216 オンライン三成会の人々との徳島・淡路島旅行11 三成の子孫の米田文郎氏の元住居・三成の淡路島出身の側室のその後

DSCN8826.JPGDSCN8827.JPGDSCN8831.JPG 司馬遼太郎の小説「関ヶ原」の初芽のモデルとされる、淡路島出身の石田三成の側室の子孫の一人に、京大薬学部名誉教授だった米田文郎氏がおられましたが、昨年亡くなられました。その住居であった米田家が、洲本市の本町七丁目センター街に残っていますが、今はNPO法人の管理になっており、地域創生や交流の場所として使われています。先月23日に訪ねた時には、残念ながら閉まっていました。何か情報を得られればと思ったのですが。
 石田姓でなく、米田姓なのは、先々代が男子に恵まれなかったからだということが、白川亨氏の著書「石田三成とその一族」(新人物往来社) に記されています。その白川氏も故人になられています。
三成の側室、及び岸河神社のそばにあった三成の供養塔について、江戸時代に書かれた「味地草」に次のように記載されています。
 「文禄中(1592~95)この村某の娘にして、石田治部少輔三成の側室になりて江州(滋賀県)佐和山に住し、三成に従いしが、慶長5年(1600)三成関原の合戦の際、叛敗軍の時その側室は、三成の嬰児を膝にして旧里納村に忍ぶ。三成は同年10月1日、京都六条河原にて梟首せられしを聞きて、側室是が為に上内膳岸河の森の前に菩提の為に密かに五輪塔を営み建つ。三成謀反の悪名によりて姓名を記さずとかや。
 また云う。この側室その後女僧となり、『宗心』と改め石田が忘れがたみの子は、その兄なる賦夫の子として撫育す。今もその地の畝号『石田』と称して家屋6、7戸ある処之也。石田の末裔と云う。宗心は一庵を結び、長く称名のみにして菩提を弔い、20年許りして身終わりけるよし(中略)。三成梟首より19年後、元和4年(1618)宗心命澄す」と。
 この記述は、田村正氏の「ふるさとの神々と仏たち 洲本編」の中で紹介されており、この史料は洲本市立淡路文化史料館からオンライン三成会代表幹事の中井俊一郎氏に送っていただいたものです。司馬遼太郎氏はこういう資料から、初芽という女性を小説に登場させたのではないでしょうか。

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