石田三成の実像2854 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」10 天正20年のものと推定され…

徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の中で、天正20年のものと推定される石田正澄・木下吉隆・長束正家宛石田三成・大谷吉継・増田長盛連署状が掲載され、次のように解説されています。  「石田三成・増田長盛・大谷吉継の3名は、なかなか渡海に踏み切れない秀吉に代わり、朝鮮在陣の武将たちを監督する…
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再び宇山昌延教授の診察を受ける 自作短歌の周辺41 眼底出血を患った時の拙歌2

関西医大滝井病院の最寄り駅である京阪電車の滝井駅はゆうに今まで百回ぐらいは乗り降りしています。白内障手術を受けて、七年後、今度は右目の網膜の血管が詰まって眼底出血しました。原因はよくわかりませんが、ストレス性のものかもしれないと云われました。白内障の原因もよくわからないのですが、アレルギー体質が影響しているかもしれません。子供の頃から視…
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石田三成の実像2853 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」28 中西氏「第一章 龍造寺・鍋島氏にとって…

中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、中西氏が担当されている「第一章 龍造寺・鍋島氏にとっての『関ヶ原』、江上八院の戦い」の中で、鍋島直茂が三成ら奉行衆ではなく、家康に接近した理由について、次のように指摘されています。  「豊臣政権に奉公するに際して島津氏らが領国経営の細部にまで奉行衆の指導を仰い…
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関西医大滝井病院本館の眼科病棟跡 自作短歌の周辺40 眼底出血を患った時の拙歌 「眼科病棟」という未完成の小説

 白内障の手術をした眼科病棟は、関西医大滝井病院の本館の北側の道路沿いにありました(写真)が、患者の大半は白内障、緑内障、網膜剥離などの手術を受ける者ばかりでした。手術後は、目を保護するために、仮面ライダーのような金の当て鉄(正式には穴あきカッペというようですが)をつけていましたから、病棟は独特の雰囲気がありました。  緑内障の手術を…
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石田三成の実像2852 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」9 天正20年6月18日付の秀吉…

徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の中で、天正20年6月18日付の隈本留守居中宛秀吉朱印状が掲載され、次のように解説されています。  「大陸出兵が進行しつつある天正20年(1592)6月、日本国内で思いもよらない事件が発生する。島津氏の家臣として従軍する中途にあった梅北国兼が、突然に加…
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関西医大滝井病院本館跡の公園 自作短歌の周辺39 白内障を患い手術した時の拙歌

 関西医大滝井病院の旧本館跡にできた公園に、診察終了後、少し立ち寄りました。公園ができたのは二年前ですが、中に入ったのは今回が初めてです。眼底を診てもらうために、散瞳剤を目に差し、瞳孔が開いたままですから、外の光がまぶしくて、サングラスをかけているものの、ぼうっとしか見えませんでしたが、それでも大体の様子はわかりました。ベンチで休んでい…
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石田三成の実像2851 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」27 中西氏「第一章 龍造寺・鍋島氏にとって…

中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、中西氏が担当されている「第一章 龍造寺・鍋島氏にとっての『関ヶ原』、江上八院の戦い」の中で、三成の佐和山隠居後の家康と鍋島直茂との関係について次のように記されています。  「慶長4年(閏)3月に家康が伏見城に移るや、直茂はその翌日に伏見城に登城して家康の警護の…
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年に一度の関西医大滝井病院通院 自作短歌の周辺38 眼底出血した時の拙歌

4月4日、大阪の滝井にある関西医大病院まで眼科の診察を受けに行ってきました。一年前に予約していたもので、ずっと一年に一度診てもらっています。眼底に変化がないかどうか、経過観察する必要があり、一生、受診しなければならないようです。  右目が眼底出血したのが、三十年以上前ですが、出血は治まったものの、眼底に腫れが残ったため、ものがゆがん…
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石田三成の実像2850 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」8 天正20年5月29日付の秀次…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の中で、天正20年5月18日付の豊臣秀次宛秀吉朱印状が掲載され、次のように解説されています。  「朝鮮の都である漢城陥落の報に接した秀吉は、いよいよ『唐入り』本来の目的である明国への侵攻計画に着手していく。この頃、豊臣秀次に宛てられた本資料では、明国…
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滋賀探訪 「平成の発掘成果から滋賀の歴史を垣間見るー縄文・弥生時代編」の展示・市民の憩いの場所としてのびわこ文化公…

大津市の滋賀県埋蔵文化財センターで開かれている「冬のミニ陳列 佐和山城の城下町を掘る~三成さんの城下町」のスペースは一部で、展示コーナーの大半は、「平成の発掘成果から滋賀の歴史を垣間見るー縄文・弥生時代編」の展示でした。もっとも目を引いたのは、米原市入江内湖遺跡から発掘された琵琶湖最古の丸木舟でした。逆に、東近江市相谷熊原遺跡から発掘さ…
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石田三成の実像2849 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」26 中西氏「第一章 龍造寺・鍋島氏にとって…

中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、中西氏が担当されている「第一章 龍造寺・鍋島氏にとっての『関ヶ原』、江上八院の戦い」の中で、「直茂公譜」「直茂公譜考補」について次のように指摘されています。  「あくまでも江戸時代の編纂史料、鍋島佐賀藩の『正史』であり、鍋島氏が徳川大名として成立・存続できたこ…
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3月3連休に吉村府知事が出した外出自粛要請をめぐって・厚労省からの非公開文書公開

 東京で新型コロナウイルスの感染が広がっているのは、三月の連休の時に小池都知事が外出自粛要請を出さず、自粛ムードが緩んだことも一つの原因だと云われています。  この時、吉村大阪府知事は、大阪と兵庫の間の往来の自粛を要請しましたが、この件について、直後の朝日新聞に「往来自粛 大阪ちぐはぐ」という記事が出ていました。知事の取った行動の問題…
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石田三成の実像2848 滋賀県埋蔵文化財センターの「冬のミニ陳列 佐和山城の城下町を掘る~三成さんの城下町」4 山…

 写真は 滋賀県埋蔵文化財センターの「冬のミニ陳列 佐和山城の城下町を掘る~三成さんの城下町」に展示されていた平成30年度の佐和山城下町の出土品の続きです。写真撮影はOKだったので、ほとんど撮りました。  平成30年度に大溝や井戸などから出土した瓦の大半は、丸瓦・平瓦ですが、わずかながら軒丸瓦・軒平瓦も見られ、これらは焼きが甘く、厚み…
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身辺雑記 初めて咲いた月桂樹の花・ギリシア神話のアポロンとダプネー・奈良から持ってきたフリージア

宇治に移り住んで十年以上経ちますが、月桂樹の花が初めて咲きました。小さな花ですが、たくさん咲いており、心を癒してくれています(根元の花はクリスマスローズです)。 月桂樹については、ギリシア神話に有名な話があります。アポロン神は、河神の娘のダプネーに恋をして、彼女を追い回しますが、彼女は徹底的にアポロンを嫌い、父親に頼んで月桂樹に…
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石田三成の実像2847 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」7 天正20年5月29日付の秀吉…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の中で、徳島県立博物館蔵の天正20年5月29日付の伊東祐兵宛秀吉朱印状が掲載され、次のように解説されています。  「秀吉から、日向国の領主で、当時朝鮮半島に在陣中の伊東祐兵に宛てられた朱印状。内容は、祐兵が所持する『六端(反)帆の図船』(帆の広さがお…
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石田三成の実像2846 滋賀県埋蔵文化財センターの「冬のミニ陳列 佐和山城の城下町を掘る~三成さんの城下町」3 内…

 佐和山城の歴史は古く鎌倉時代に遡るといわれています。戦国時代は浅井氏と六角氏の抗争の最前線となりました。織田信長の時代、信長が上洛する時、しばしば佐和山城に泊まっています。秀吉の時代も城主は次々と変わりましたが、最後は石田三成でした。佐和山城と云えば石田三成の居城と捉えがちですが、三成が城主だったのは、何百年という佐和山城の長い歴史の…
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石田三成の実像2845 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」25 中西氏「第一章 龍造寺・鍋島氏にとって…

 中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、中西氏が担当されている「第一章 龍造寺・鍋島氏にとっての『関ヶ原』、江上八院の戦い」の中で、まず秀吉死後の鍋島直茂・勝茂の動きについて記されています。  朝鮮半島からの撤退について、次のように述べられています。  「まだ幼少の龍造寺氏家督・龍造寺高房の陣代…
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石田三成の実像2844 滋賀県埋蔵文化財センターの「冬のミニ陳列 佐和山城の城下町を掘る~三成さんの城下町」2 大…

 大津市の滋賀県埋蔵文化財センターで開かれている「冬のミニ陳列 佐和山城の城下町を掘る~三成さんの城下町」ですが、平成30年度の佐和山城の城下町の発掘調査の成果の一つして、幅約7メートル、深さ約1メートルの大規模な溝が発見されたことが挙げられ、この大溝から出土した、瀬戸・美濃産瓶、天目茶碗、軒丸瓦、石仏、小柄や銭貨・鉄鍋の把手などの金属…
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石田三成の実像2843 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」6 天正20年5月13日付の秀吉…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の中で、林原美術館蔵の天正20年5月13日付の池田輝政宛秀吉朱印状が掲載され、次のように解説されています。  「名護屋滞在中の秀吉が、東国の動きを睨んで国内待機を命じている池田輝政からの陣中見舞に対して宛てた書状。『羽柴吉田侍従』の呼称は、当時の輝政…
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石田三成の実像2842 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」24 実戦状況に関する白峰氏の考察15 飛道…

 中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、白峰氏が担当されている「第四章 江上八院の戦いの実戦状況」の中で、立花勢の小野和泉守、立花吉左衛門、十時源兵衛が後日申し上げた「覚」の、まとめとして「飛道具主体の戦いと本格的な白兵戦」について考察され、次のようなことが指摘されています。  「当時の戦いは、最…
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石田三成の実像2841 滋賀県埋蔵文化財センターの「冬のミニ陳列 佐和山城の城下町を掘る~三成さんの城下町」1 平…

 大津市の滋賀県埋蔵文化財センターで開かれている「冬のミニ陳列 佐和山城の城下町を掘る~三成さんの城下町」を3月26日に見に行ってきました。新型コロナウイルスの影響で3月24日まで中止されていましたが、25日に再開されたので、早速行きました。当初は27日までの開催予定でしたが、途中の中止期間が長引いたので、5月7日まで延長されました。J…
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石田三成の実像2840 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」5 天正20年4月28日付の秀吉…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の中で、徳島県立博物館蔵の天正20年4月28日付の宇久純玄宛秀吉朱印状が掲載され、次のように解説されています。  「秀吉は名護屋城に天正20年(1592)4月25日着陣する。この朱印状は、名護屋到着の直後、既に朝鮮半島に在陣している諸大名に対してほぼ…
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旅行記224 37年前の中国研修旅行 その時に発行した文集「朱華」・「古都西安」と題する拙文

 亡父が太平洋戦争の時、兵隊として武漢に行ったので、かねがね一度訪れたいと思いながら、果たせないままです。新型コロナウイルスは、武漢で発生したと云われていますが、中国当局が最初のうちはそのことを隠蔽していたため、感染が広がってしまったという見方が専らです。これも一党独裁の弊害で、最近、ますますその傾向が強くなっています。 もっと…
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石田三成の実像2839 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」23 実戦状況に関する白峰氏の考察14 兵科…

 中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、白峰氏が担当されている「第四章 江上八院の戦いの実戦状況」の中で、立花勢の小野和泉守、立花吉左衛門、十時源兵衛が後日申し上げた「覚」に基づいて、「兵科別編成部隊の存在」について考察され、次のようなことが指摘されています。  「敵味方ともに兵科別編成の部隊(敵…
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旅行記223 オンライン三成会の人々との徳島・淡路島旅行18 洲本城に柴右衛門狸を祀る祠 落語探訪 桂米朝さんの「…

洲本城の本丸跡に芝右衛門狸を祀る祠があります。芝右衛門狸はこの山に住んでいたとされる狸で、次のような伝説があります。この狸は人に化けて浪速の中座まで船で芝居見物に行き、木の葉で木戸銭を払っていましたが、芝居小屋の人の知るところとなり、番犬に襲われて殺されてしまいます。その後、中座の人の入りが悪くなったので、中座に芝右衛門狸を祀ると…
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石田三成の実像2838 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」4 「名古屋陣之図」 三成の陣替…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の中で、佐賀県立名護屋城博物館蔵の「名古屋陣之図」が掲載され、次のように解説されています。  「名護屋城の周辺には、大陸出兵に動員された多くの大名たちの陣屋が所在していた。江戸時代以降になると、諸大名の陣屋を考証し、位置関係を描きこんだ絵図が好事家や…
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旅行記222 オンライン三成会の人々との徳島・淡路島旅行17 興源寺の蜂須賀墓所・正勝は野盗だったというのは作り事

2月24日、徳島市内めぐりの最後に、興源寺の蜂須賀家墓所を訪ねました。徳島城跡の北側を東西に流れているのが助任川ですが、そこを越えて、さらに北に十分程歩いて行ったところにあります。   蜂須賀家の家祖の正勝と松夫妻の墓だけ離れたところにありますが、徳島藩の藩祖である家政や初代藩主の至鎮をはじめとして歴代藩主などの墓は、広い敷地の中に…
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石田三成の実像2837 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」22 実戦状況に関する白峰氏の考察13 勝者…

中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、白峰氏が担当されている「第四章 江上八院の戦いの実戦状況」の中で、「勝者側と敗者側の一次史料による認識の差異」について論じられていますが、10月27日付の島津義久・島津義弘・島津忠恒宛の立花宗茂書状が取り上げられ、その記載内容から、次のような点が指摘されています…
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自作短歌の周辺37 「歪められた歴史」と題する拙歌・権力者によって文書が改竄されたり廃棄されたりするのは今も変わらず

 森友問題で自殺した近畿財務局の職員の遺書が公開され、文書の改竄を指示したのは佐川元理財局長だったという内容が明らかになりました。隠された真実がようやく表にでてきたという思いがすると共に、自殺した人の苦悩と怒りが生々しく記されおり、心が痛みました。しかし、政府も与党も財務省も、再調査する気は全くなく、逃げの姿勢に終始しています。安倍政権…
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石田三成の実像2836 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」3 肥前名護屋城図屏風

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の中で、佐賀県立名護屋城博物館蔵の「肥前名護屋城図屏風」(複製) が掲載され、次のように解説されています。  「『唐入り』の遂行にあたり、秀吉は壱岐・対馬を挟んで朝鮮半島と隣接する、肥前国名護屋の地を前哨基地に選定した。秀吉の御座所である名護屋城と、…
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