石田三成の実像2870 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」36 中西氏「第一章 龍造寺・鍋島氏にとって…

 中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、中西氏が担当されている「第一章 龍造寺・鍋島氏にとっての『関ヶ原』、江上八院の戦い」の中で、慶長5年の「慶長庚子大乱」の伏見城攻防戦に加わった龍造寺・鍋島連合軍の活躍、及び三成の督戦について、次のように述べられています。  「7月25日から始まった」「伏見城…
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四天王寺の境内は子供の頃の遊び場・四歳の時の稚児行列の写真

 四天王寺は、新型コロナウイルス拡大防止のため、閉鎖されていましたが、6月8日から再開されます。閉鎖されたのは、聖徳太子が建てて以来のことだと、マスコミでも話題になりました。四天王寺のそばで生まれ育ったので、小さい頃から馴染みの場所で、境内を遊び場にしていました。子供の頃は昆虫採集もして、蝉、蝶、とんぼ、バッタなどをよく捕った場所ですが…
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石田三成の実像2869 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」17 天正20年11月10日付の…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、まず島津氏に関係したものが掲載されていますが、天正20年11月10日付の島津豊久宛秀吉朱印状が取り上げられ、次のように解説されています。   「島津豊久は、義久および義弘の弟・家久の子であり、彼らにとっては甥に…
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大阪府立高津高校の同期生のヒロ寺平さんが深夜番組「ヤングタウン」に高校生の時にドラマーとして出演・高校紛争の激しか…

大阪府立高津高校の同期生で、ディスクジョッキーを長年務めたヒロ寺平さん(残念ながら、一度も同じクラスになったことはありません)が、毎日放送の番組「ちちんぷいぷい」(「おうちにいようよ」)にリモート出演し、昔の写真を紹介していました。その中に、高校二年の時に、毎日放送の深夜ラジオ「ヤングタウン」にドラマーとして出演していた時のものがあ…
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石田三成の実像2868 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」35 中西氏「第一章 龍造寺・鍋島氏にとって…

 中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、中西氏が担当されている「第一章 龍造寺・鍋島氏にとっての『関ヶ原』、江上八院の戦い」の中で、慶長5年の関ヶ原の戦いを中心とした一連の戦いについて、「慶長庚子大乱」と称されていますが、これは白峰氏の見解に基づくもので、これからこの言い方が定着してゆくのではないか…
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「ひょっこりひょうたん島」の復刻版に貢献した伊藤悟少年の克明なノート・伊藤氏「ひょうたん島大漂流記」

 人形劇と云えば、中学時代から高校時代にかけてNHKで放送された「ひょっこりひょうたん島」が強烈なインパクトを残しました。平日の午後5時45分から15分間の放送でした。この時間に間に合うように、学校から急いで帰ったものでした。  動くひょうたん島が、さまざまな不思議な国に漂着し、島の住民たちがそこで冒険を繰り広げるというロマンあふれる…
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石田三成の実像2867 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」16 天正20年5月4日付の町田…

徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、まず島津氏に関係したものが掲載されていますが、天正20年5月4日付の町田久倍等11名宛島津義久書状が取り上げられ、次のように解説されています。 「島津義久は、秀吉の九州出兵に際して出家し『龍伯』と号するが、分…
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音楽探訪38 古関裕而さんの「人気投票ベスト盤」の記事・名前を初めて知った「オリンピック・マーチ」・「六甲おろし」…

 朝ドラ「エール」は毎日見ていますが、モデルになっている古関裕而さんの「人気投票ベスト盤」の記事が朝日新聞に載っていました。古関裕而という名前を初めて知ったのは、東京オリンピック開会式を実況中継するアナウンサーが「古関裕而作曲のオリンピック・マーチ」と言っていた時です。開会式の模様は、当時買ってまもないリール式の大きなテープレコーダーに…
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石田三成の実像2866 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」34 中西氏「第一章 龍造寺・鍋島氏にとって…

中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、中西氏が担当されている「第一章 龍造寺・鍋島氏にとっての『関ヶ原』、江上八院の戦い」の中で、慶長5年、三成らが反家康の挙兵をし、三成の兄の正澄が愛知川の関所を閉ざして、会津攻めに行かないようにした時における、鍋島勝茂らの思いについて、次のように記されています。…
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唐突だった住吉高校の国際教養科設置・巻き起こった反対運動も実を結ばず・国際理解という専門科目を担当・民話から国民性…

 普通科だけだった大阪府立住吉高校に国際教養科が併設されたのは、平成2年のことですが、教員にそのことが知らされたのは前年の9月でした。全く寝耳に水の話で、校内で反対運動が起こりましたし、準備が整いそうになく少なくとももう1年延ばしてほしいと府教委や府会議員に陳情に行きました。しかし、そういう反対運動も空しく、そのまま強行されてしまいまし…
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石田三成の実像2865 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」15 慶長2年8月25日付の鍋島…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の中で、慶長2年8月25日付の鍋島勝茂宛早川長政・熊谷直盛・垣見一直連署状が掲載され、次のように解説されています。 「目付衆として、慶長出兵における在陣諸将を監督する早川長政・熊谷直盛・垣見一直によって鍋島勝茂に発給された請取状。届けられたのは、…
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9月入学問題・アメリカに留学していたため一人だけの卒業式になった住吉高校国際教養科の生徒・国際科有志による演劇「美…

9月入学は、クリアすべき問題が多すぎて、すぐに始めることができるかどうか疑問ですが、外国の状況に合わせて9月入学にすべきだとはかねてより思っていることです。  大阪府立住吉高校で国際教養科2期生の3年の担任をしていた時、一人の女生徒がアメリカの高校に一年間留学しました。アメリカで単位を修得して、卒業を満たすだけの単位を取れたため…
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石田三成の実像2864 秀吉が最晩年に築いた「京都新城」の遺構発見・秀吉の死後、北政所が移住・北政所が三成寄り…

秀吉が最晩年に築いた「京都新城」の遺構が発見されたという記事がネットニュースや新聞に出ていました。石垣や堀、金箔瓦などが発掘されました。「京都新城」があった場所は現在、仙洞御所になっています。秀吉の死後、未亡人の北政所(おね 高台院)が大坂城から移り住み、死ぬまでここで過ごしました。ドラマなどでは、北政所は淀殿が牛耳る大坂城にいる…
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石田三成の実像2863 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」33 中西氏「第一章 龍造寺・鍋島氏にとって…

 中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、中西氏が担当されている「第一章 龍造寺・鍋島氏にとっての『関ヶ原』、江上八院の戦い」の中で、慶長5年の家康による会津攻めにおける鍋島直茂・勝茂父子の動きについて、次のように記されています。  「直茂も当然の如く家康に従軍を願ったが、帰国して豊前中津に在国する…
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阪神タイガース雑記13 1985年、日本一になった日とその時の日記の記述、同僚たちとの二度の祝勝会

 阪神が日本一になった1985年11月2日のことも忘れられない日です。この日は土曜日で、当時、大阪府立住吉高校に勤務していましたが、学校は昼まででした。午後から日本シリーズ第6戦が行われ、社会科の部屋のテレビで見ていました。試合の経過及びその時の様子について、当時の日記には、次のように記しています。  「日本シリーズは阪神が初回いきな…
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石田三成の実像2862 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」14 慶長2年2月21日付の小早…

徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の中で、慶長2年(1597)2月21日付の小早川秀秋宛豊臣秀吉朱印状が掲載され、次のように解説されています。  「秀吉から発給された、慶長出兵の軍令書。本資料は小早川秀秋に宛てられたものだが、同内容の文書は陣立書とワンセットで様々な大名家に伝存し…
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阪神タイガース雑記12 1999年の新庄選手の敬遠サヨナラ打・1985年甲子園バックスクリーン3連発・優勝した時の…

 「なにわの地理博士」こと、村瀬哲史氏が野球の試合がないのは、なんとも寂しいとラジオ番組でおっしゃっていましたが、そういう思いを持っている人々はたくさんいると思います。今年は甲子園へ観戦に行けるかどうかわかりません。 ヤフーニュースに「新庄氏の敬遠サヨナラ打 裏話」の記事が掲載されていましたが、甲子園での巨人との延長戦で、阪神の…
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石田三成の実像2861 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」32 中西氏「第一章 龍造寺・鍋島氏にとって…

中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、中西氏が担当されている「第一章 龍造寺・鍋島氏にとっての『関ヶ原』、江上八院の戦い」の中で、慶長5年における鍋島直茂・勝茂父子の動き、及び家康による会津攻めについて、次のように記されています。  「慶長5年の正月を、直茂・勝茂父子は従来から人質として…
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大学生の苦しい生活を憂う・思い出 経済的に貧しかった中で、京都で充実した大学生活を送れたことに感謝・就職して買えた…

新型コロナウイルス拡大の影響で、大学生の生活が苦しくなっているということが報じられています。アルバイトができず、親からの仕送りなどの金銭援助も難しくなってきており、退学も考えている学生もいるとのこと。こんな形で学ぶ機会が失われるのは、気の毒でやりきれない気持ちがします。  私は経済的に貧しい家庭に育ちましたから、そういう状況にありなが…
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石田三成の実像2860 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」13 万暦23年付の豊臣秀吉宛の…

徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の中で、万暦23年付の豊臣秀吉宛の明王贈豊太閤冊封文が掲載され、次のように解説されています。  「文禄4年(1595)、日本を訪れた明国皇帝の使者が携えてきた冊封文で、五行思想に基づく五色に織分けられた綾を用いた、非常に華麗なものとなっている。『冊封』…
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漫才探訪 「シャンプーハット」「ミルクボーイ」・大学時代とりわけ好きだった「海原千里・万里」・大阪の代表曲「大阪ラ…

今年の上方漫才大賞を受賞した「シャンプーハット」が、新型コロナウイルス拡大の影響で、オリックス劇場で漫才を披露できなかったのは残念で気の毒です。大阪に拠点を置いている漫才師を特に私は応援しているのですが(東京に進出してしまうと、バラエティー番組などが中心になり漫才をあまりしなくなってしまいがちです)、「シャンプーハット」の漫才はツッ…
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石田三成の実像2859 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」31 中西氏「第一章 龍造寺・鍋島氏にとって…

 中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、中西氏が担当されている「第一章 龍造寺・鍋島氏にとっての『関ヶ原』、江上八院の戦い」の中で、慶長4年9月のいわゆる家康暗殺未遂事件の際における鍋島直茂・勝茂父子の動きについて、次のように記されています。  「9月に上方で家康暗殺の噂が広まり、京・伏見、大坂の…
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古代史 番組「諸説あり 邪馬台国スペシャル」 畿内説・九州説・移動説それぞれの根拠 37年前の中国研修旅行で泊まっ…

 TBSの番組「諸説あり 邪馬台国スペシャル」(昨年の再放送)で、畿内説の根拠、九州説の根拠がそれぞれ挙げられていましたが、興味深いのは中国の研究者の大半は、邪馬台国は当然のように九州にあったと考えていることでした。中に一人、陳教授は邪馬台国は九州から畿内に移動したという説を唱えていました。その根拠として、九州の北部と畿内に同じ地名があ…
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石田三成の実像2858 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」12 文禄2年6月9日付の北政所…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の中で、文禄2年6月9日付の北政所宛豊臣秀吉自筆書状が掲載され、次のように解説されています。  「名護屋に滞在する秀吉から、正室の北政所(おね)に宛てた書状。『大めい国』すなわち明国から詫び言を申してきたため、高麗とともに許すこととした。そのため。1…
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大阪探探146 今年は中止された造幣局の通り抜け・昨年の写真・造幣局と大阪遷都論

4月の造幣局の桜の通り抜けは中止になりましたが、その時、毎日放送の番組「ちちんぷいぷい」で特別に中継されているのを見ました。あいにくの雨でしたが、雰囲気は伝わってきたものの、誰もいないというのが奇異な感じでしたし、寂しく思いました。   昨年は通り抜けに行きましたが、写真はその時のものです。毎年、「今年の桜」というものが選ばれています…
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石田三成の実像2857 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」30 中西氏「第一章 龍造寺・鍋島氏にとって…

 中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、中西氏が担当されている「第一章 龍造寺・鍋島氏にとっての『関ヶ原』、江上八院の戦い」の中で、島津家領内で起こった庄内の乱と鍋島直茂について、次のように記されています。  「庄内の乱は政権中央でも無視できない問題であり、最終的には家康が調停に乗り出すことになる…
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前田晴人氏の論考「山代の木幡『地衢(ちまた)』をめぐって」2 古代・中世には定期市があり、治安・警察活動の拠点だっ…

現在、六地蔵は、京阪(写真)、JR、地下鉄の駅がある交通の要衝ですが、前田晴人氏の見解によれば、古代・中世にはここが木幡の「道衢(ちまた 道の分岐点)」であり、市が立っていた重要な地であったと推定されています。市はモノや情報が集まる場所だけではなく、呪術の風習や儀礼、見せしめの刑罰なども行われ、治安・警察活動の拠点であったとも解説されて…
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石田三成の実像2856 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」11 壬辰倭乱図屏風・第一次晋州…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の中で、「壬辰倭乱図屏風」が掲載され、次のように解説されています。  「朝鮮の絵師によって手がけられたものと思われる、壬辰倭乱(=文禄出兵)をモチーフにした屏風。朝鮮軍が立てこもる堅牢な城砦を、刀を手にした日本勢が取り巻く光景が描かれている。ここで描…
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受贈御礼 前田晴人氏の論考「山代の木幡『地衢(ちまた)』をめぐって」1 木幡はかつて市が立ち、ワニ氏と物部氏との関…

 前田晴人氏からご論考「山代の木幡『地衢(ちまた)』をめぐって」(大阪経済法科大学地域研究所紀要 第12号)をご恵贈賜りました。この場を借りてお礼申し上げます。  前田氏とは昨年9月に大阪府立堺工業高校で出していた同人誌の元同人の集まりで久しぶりにお会いしましたが、その時、私が住んでいる宇治の木幡近辺を研究のため歩き回っているとお聴き…
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石田三成の実像2855 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」29 中西氏「第一章 龍造寺・鍋島氏にとって…

 中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、中西氏が担当されている「第一章 龍造寺・鍋島氏にとっての『関ヶ原』、江上八院の戦い」の中で、豊臣七将による、いわゆる石田三成襲撃事件について、次のように記されています。  「慶長4年(1599)閏3月、前田利家が死去すると、加藤清正・福島正則・細川忠興ら、い…
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通院の帰りに見た山科川の桜 フランス文学探訪103 カミュの小説「ペスト」不条理なものに反抗して立ち向かう

関西医大への通院の際は、六地蔵から山科川沿いに歩いて帰宅しましたが、桜が満開でした。もっとも、散瞳剤の影響で、まぶしくぼんやりとしか見られませんでした。今年のささやかな花見です。  カミュの小説「ペスト」が読まれているそうですが、学生時代、サルトルとカミュはフランス文学の最先端の作家でした。「ペスト」は、翻訳書でも原書でも読みました。…
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