高校一年生の時、岐阜の両親の実家に18日間滞在・薮川で泳ぐ・妹の理科の自由研究や担任への暑中見舞文を手伝う・父の実家での法事に18名が参列。

 今年の夏はコロナ禍で帰省もままならなかったという人が多かったのはなんとも気の毒なことですが、今から53年前の高校一年生の時の日記を読み返していたら、夏休み、岐阜の両親の実家に18日間も行っていました。行きは妹と二人で、お盆の4日間は両親も駆け付け、帰りは家族一緒でした。そのため、夏休みの最初に宿題のかなりの部分を急いで済ませました。
 DSCN6018.JPGDSCN6015.JPGDSCN6013.JPGDSCN6016.JPGDSCN6017.JPG 父親の実家は農家で、妹、いとこの3人で近くの薮川までよく泳ぎに行っていました(写真は三年前に撮ったもの)。もっとも、何日かして川が干上がったので泳げなくなりましたが。妹の理科の自由研究の手伝いをして、堤防の2メートル四方の草の数を勘定し、その草の名を調べたりもしました。妹の宿題では、もう一つ手伝っています。担任の先生に出す暑中見舞文であり、妹がどう書いていいかわからないと言うので、その内容を妹に代わって考えました。私も中学時代に宿題に暑中見舞文を書いた経験があるので、手伝ったわけですが、これも今から思えば、妹のためにはならなかったと思います。自分で苦労して書かなければ、勉強になりません。
 ちなみに、高校の教員をしていた時、中学時代と同様、クラスの生徒に暑中見舞いを書いて出してもらう宿題を課したことがありますが、取り組みとしては悪くなかったと総括しています。もっとも、今は個人情報保護の問題もあって、こういうことはできないのではないでしょうか。
 ところで、この日(8月1日)、午前中に妹の暑中見舞文を書くのを手伝った後、昼からいとこと3人で薮川で泳ぎ、その後、母の実家がある黒野までやはり3人で自転車に乗って行きました。自転車なら十分余りで行けます。黒野は町なので、暑中見舞文をポストに入れに行くのと、花火を買うためでした。その時、母の実家にも寄ったのですが、あいにく留守でした。黒野に泊まりに行ったのは、その8日後のことです。
 父の実家で夜は花火、星の観察、蛍狩り、小学校での盆踊りなどに興じました。
 お盆の時は、父方の叔母の法要が行われ、総勢18名が父の実家に集まりました。墓参りもしました。父は6人兄弟(叔母だけが早世し、男5人が健在でした)なので、お盆の時は、父の実家に親戚がたくさん集まるわけです。おじたちやいとこ、父、妹など7名でトランプの「七ならべ」を楽しみ、家で収穫したトウモロコシをみんなでいただきました。
 両方の家ともにいろいろとお世話になり、感謝しています。当時は両祖母も、おじも父も健在でしたが、みんな故人になりました。おばやいとこで亡くなった者もいます。当時のことが懐かしく思われてなりません。
  

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