受贈御礼 和田裕弘氏の論考「豊臣秀吉の実子といわれる『石松丸』について」 朝倉景鏡の子であり、景鏡が秀吉に養子とし…

 桐野作人氏より、織田信長家臣団研究会発行の会誌「天下布武」をお送りいただきました。この場を借りてお礼申し上げます。 この会誌の中に、和田裕弘氏の論考「豊臣秀吉の実子といわれる『石松丸』について」が掲載されており、石松丸は秀吉の実子ではなく、朝倉景鏡の子であり、景鏡が秀吉に養子として差し出したという見解が示されています。  根拠とな…
コメント:0

続きを読むread more

石田三成の実像2916 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか…

 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、本城惣右衛門が、慶長5年7月の伏見城攻めに、豊臣公儀側の増田長盛の指揮下で戦ったその内容が具体的に記されており、伏見攻めの様子を知る上で貴重な史料です。その内容について、白峰氏の同書にまとめられていますが、まず…
コメント:0

続きを読むread more

毎日放送の番組「ちちんぷいぷい&ミント」の「ナゼトキ」のコーナー2 大坂城に二つの天守・地下にある豊臣期の石垣を訪…

毎日放送の番組「ちちんぷいぷい&ミント」の「ナゼトキ」のコーナーで漫才コンビ「学天即」の奥田さんは、琵琶湖の竹生島へ行く前、現在の大阪城を訪ねていましたが、秀吉の死後、家康が大坂城西の丸に別の天守閣を建て、豊臣家に喧嘩を売っていたと説明していました。そのことを示すものとして、「大坂夏の陣図屏風」の中に、二つの天守閣が描かれていることが挙…
コメント:0

続きを読むread more

石田三成の実像2915 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」34 文禄2年10月1日付の豪姫…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、宇喜多氏に関係したものとして、文禄2年(1593)10月1日付の豪姫宛豊臣秀吉自筆書状が掲載されており、次のように解説されています。  「宇喜多秀家の室・豪姫は前田利家の四女で、幼少期に秀吉の養女になっていた。…
コメント:0

続きを読むread more

番組「ちちんぷいぷい&ミント」の「ナゼトキ」のコーナー・大坂城極楽橋を移築した竹生島の宝厳寺唐門を訪ねる・浅井氏の…

毎日放送の番組「ちちんぷいぷい&ミント」の「ナゼトキ」のコーナーで漫才コンビ「学天即」の奥田さん(相当な学識をお持ちです)が、豊臣時代の大坂城にあった極楽橋を移築した、琵琶湖の竹生島の宝厳寺の唐門を訪ねていました。唐門は7年かけて修復され秀吉当時の絢爛豪華な姿によみがえっています。解説は太田浩司氏が務めておられました。宝厳寺の唐門が極楽…
コメント:0

続きを読むread more

石田三成の実像2914 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」12 水野伍貴氏「徳川家康の戦い」10 家康は上杉氏…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の水野伍貴氏の「徳川家康の戦い」の中で、家康はまず前田利長を屈服させ、次に上杉氏に標的を定めるという、個別撃破の手法を取ったという論が展開されていますが、その経緯について次のように解説されています。  「(慶長5年)5月に利長の母である芳春院が江戸に下向したことにより、前田氏が上杉氏…
コメント:0

続きを読むread more

中島みゆきさんのフェスティバルホールでのコンサートの特別上映会はやむなく断念・造語「あぶな坂」「うかれ街」・自称「…

 大阪中之島のフェスティバルホール(写真は四年前に撮ったもの)で、過去に劇場公開された中島みゆきさんのコンサートの特別上映会が8月26日から6日間にわたって行われるのですが、大阪のコロナ感染がなかなか収まらないので、今回は断念しました。むろん、感染防止策はいろいろとられているのですが、自分自身、若くはないので、リスクはできるだけ避けなけ…
コメント:0

続きを読むread more

石田三成の実像2913 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」52 中西氏「第一章 龍造寺・鍋島氏にとって…

 中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、中西氏が担当されている「第一章 龍造寺・鍋島氏にとっての『関ヶ原』、江上八院の戦い」の中で、10月20日に龍造寺・鍋島軍と立花宗茂が戦った江上八院の戦いについて、立花側については、立花宗茂の発給文書(感状・合戦手負注文類)が残り、白峰氏が詳細な戦闘状況を復元さ…
コメント:0

続きを読むread more

1967年の大阪府立高津高校入学式の日の日記の記述・「自由と創造」という校風・旧校舎の姿は卒業アルバムと心の中だけに

日記を書き始めたのは、1967年の4月の、大阪府立高津高校入学前後の時からですが、1年の時は結構書いていたものの、2・3年の時は中断し、再び書き始めたのは、大学入試が終わった直後の1970年の3月からです。大学時代、3年間の中断があるものの、1975年からは現在までほとんど毎日記しています。  高校の入学式は4月8日(土)に行なわれま…
コメント:0

続きを読むread more

石田三成の実像2912 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」33 文禄2年2月15日付の本田…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、宇喜多氏に関係したものとして、文禄2年(1593)2月15日付の本田五郎右衛門宛宇喜多忠家書状が掲載されており、次のように解説されています。  「宇喜多忠家は秀家にとって叔父にあたる人物で、後見役として彼を補佐…
コメント:0

続きを読むread more

朝日新聞の記事「野武士集団 伊藤忠」 会長CEOが伊藤忠兵衛らの墓にお参りして三冠を誓う・がんと仕事の両立支援・忠…

 朝日新聞の経済欄に、「野武士集団 伊藤忠」と題する記事が4回にわたって掲載されました。社長に岡藤正広氏が就いてから10年経ち(今は会長CEO)、どう会社が変わったかを紹介したものですが、岡藤氏が大阪府立高津高校の2年先輩だということを始めて知りました。  記事は、岡藤氏が、京都・大谷本廟にある創業者初代伊藤忠兵衛らの墓にお参りして、…
コメント:0

続きを読むread more

石田三成の実像2911 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」11 水野伍貴氏「徳川家康の戦い」9 家康と前田利長…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の水野伍貴氏の「徳川家康の戦い」の中で、「家康暗殺計画に関する風聞に端を発した、加賀征討へ向かおうとする一連の動きについて」虚構だとする大西泰正氏の説に対する否定的見解が次のように記されています。  「論拠の柱になっているのは、同時代史料による裏付けを欠く点、『当代記』『象賢紀略』と…
コメント:0

続きを読むread more

映画探訪39 「007 黄金銃を持つ男」2 低身長の部下の存在感、舞台は香港・マカオ・タイが中心、空手や相撲も登場…

 映画「007 黄金銃を持つ男」に登場する、黄金銃を持つ男の部下の低身長の男も、主人の遺産を狙う食えない人物ながらユーモラスな面も持ち存在感がありました。   この映画の舞台の中心は、香港、マカオ、タイなどの東南アジアですが、映画が作られて約20年後に家族でこれらの国を訪れたことがあるだけに、今回改めて見て余計懐かしい気がしました。香…
コメント:0

続きを読むread more

石田三成の実像2910 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」51 中西氏「第一章 龍造寺・鍋島氏にとって…

 中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、中西氏が担当されている「第一章 龍造寺・鍋島氏にとっての『関ヶ原』、江上八院の戦い」の中で、勝茂が領国に戻り、龍造寺・鍋島軍が立花宗茂を討とうとした時、鍋島茂里が「鍋島氏執政体制のさらなる強化を図ろうとした」と指摘されていますが、次のようなことも記されています…
コメント:0

続きを読むread more

映画探訪38 「007 黄金銃を持つ男」携行品を組み合わせて作る銃・貴公子のようなロジャー・ムーアさん、悪役は名優…

 1974年に公開された「007 黄金銃を持つ男」を家族みんなで見ました。007シリーズは、私自身、大半を映画館で見ていますが、娘は初めてで、ボンドがプレーボーイで全体がお色気たっぷりなのは、娘は気に入らないようですが。  このシリーズは、ジェームズ・ボンドが使う新兵器も見どころの一つですが、この映画は、悪者の使う黄金銃が新兵器となっ…
コメント:0

続きを読むread more

石田三成の実像2909 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」32 昭和に描かれた宇喜多秀家像…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、宇喜多氏に関係したものとして、宇喜多秀家像が掲載されており、次のように解説されています。  「備前国(現在の岡山県)を本拠とする宇喜多氏は、秀吉が織田氏の部将として中国攻めを担当していた頃から深いつながりを持つ…
コメント:0

続きを読むread more

京都探訪322 立誠小学校跡地に複合施設・土佐藩邸があった場所・坂本龍馬はなぜ土佐藩邸に入らなかったのか・暗殺され…

 高瀬川沿いにある京都市立立誠小学校の跡地に、ホテルを含めた複合施設「立誠ガーデン ヒューリック京都」が開業し、テレビでも紹介されていましたが、コロナ禍のため、外出を控えているので、まだ訪ねていません。レトロな小学校の雰囲気も残しているということですが、周囲の景観とどうマッチしているのか見に行きたいと思っています。ホテルの上階にあるレス…
コメント:0

続きを読むread more

石田三成の実像2908 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」10 水野伍貴氏「徳川家康の戦い」8 家康と前田利長…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の水野伍貴氏の「徳川家康の戦い」の中で、家康が「大老衆の排斥において、家康が最初の標的としたのは前田利長であった」と記されていますが、その時の家康の動きについて、次のように記されています。  「越前に軍勢を配置して利長を牽制していた。また、加賀小松の大名丹羽長重は家康の厳命を受けて国…
コメント:0

続きを読むread more

映画探訪37 「猿の惑星」ラストの衝撃 ・「続・猿の惑星」のラストには失望・「新・猿の惑星」から新たな展開

 1968年に制作された「猿の惑星」をテレビで放送していたので家族で観賞しましたが、私は何十年ぶりに見て、懐かしさに駆られました。  この作品は、私は最初テレビで見ましたが、続編の「続・猿の惑星」は学生時代、映画館で見ました(今はないアベチカにあった小さな映画館の天王寺ステーションシネマで、安い料金が学生の身分にとっては魅力的で、気軽…
コメント:0

続きを読むread more

石田三成の実像2907 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」50 中西氏「第一章 龍造寺・鍋島氏にとって…

中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、中西氏が担当されている「第一章 龍造寺・鍋島氏にとっての『関ヶ原』、江上八院の戦い」の中で、勝茂が領国に戻り、龍造寺・鍋島軍が立花宗茂を討とうとした時、鍋島茂里が「鍋島氏執政体制のさらなる強化を図ろうとした」と指摘され、茂里について次のようなことが記されています…
コメント:0

続きを読むread more

ドラマ探訪45 「半沢直樹」 巨悪に敢然と立ち向かう姿勢に胸がすく思い・島崎今日子さんの批評記事・女性を疎外して平…

ドラマ「半沢直樹」については、大阪編、東京編が放送された7年前に拙ブログ記事で何回にわたって取り上げたことがあります。その時、最初の大阪編のロケ地についても、いくつか写真を載せました。  今回放送された続編も、前回の時と同様、スリリングな展開で、主人公が数々の窮地に陥りながらも、それを乗り越え、巨悪に敢然と挑んでいくところが面白く、銀…
コメント:0

続きを読むread more

石田三成の実像2906 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」31 慶長3年1月17日付の小早…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、小早川氏に関係したものとして、慶長3年(1598)1月17日付の小早川秀秋宛豊臣秀吉朱印状が掲載されており、次のように解説されています。  「慶長3年(1598)正月、秀吉から秀秋に宛てられた書状。小早川氏を相…
コメント:0

続きを読むread more

京都探訪321 「京都府庁旧本館」 大正天皇・明治天皇の即位の時、内閣の閣議が開かれる・ガガーリン宇宙飛行士なとが…

 朝日新聞京都版の「古都ぶら」の欄に「京都府庁旧本館」が取り上げられていました。中庭の桜が見事なので、何回か行ったことがあり、拙ブログでも取り上げましたが、ここは幕末の時代、京都守護職を務めた会津藩主・松平容保の上屋敷があったところです。   写真は5年前の4月に撮ったものです。丁度、桜が見ごろでした。写真の桜は容保桜です。松平容保に…
コメント:0

続きを読むread more

石田三成の実像2905 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」9 水野伍貴氏「徳川家康の戦い」7 前田利長を標的に…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の水野伍貴氏の「徳川家康の戦い」の中で、家康が「大老衆の排斥において、家康が最初の標的としたのは前田利長であった」と記されていますが、その背景として、「三成の失脚後、毛利・四奉行連合は事実上解体。増田長盛ら奉行衆は家康に協力的な立場をとり、毛利輝元も閏3月21日に家康と誓紙を交わして…
コメント:0

続きを読むread more

音楽探訪44「加山雄三 CDベスト」 新聞記事「古都物語 京都 加山雄三 ひとり泳いだ嵐山」

 写真は、1985年に発売された「加山雄三 CDベスト」の表紙です。それまでの彼のヒット曲はほとんど入っています。「君といつまでも」をはじめ、「夜空の星」「お嫁においで」「蒼い星くず」「旅人よ」「夕陽は赤く」「ぼくの妹に」など、何十回となく聴いて思い出深い曲の数々が収録されています。全15曲が加山さんの作曲で(弾厚作)、作詞の大半は岩谷…
コメント:0

続きを読むread more

映画探訪36 「若大将」シリーズの架空の京南大学 音楽探訪43「君といつまでも」にまつわる思い出

 「若大将」シリーズの映画の中で、若大将が通っていたのは架空の京南大学ですが、テレビ番組「歌っていいだろう」の中で、歌手の谷村新司さんが、若い頃「若大将」シリーズを見て、大学に行くなら京南大学だと思って、東京に行ったというエピソードを、加山さんが紹介していましたが、当時、実在する大学だと思っていた人は少なくなかったようです。   私自…
コメント:0

続きを読むread more

石田三成の実像2904 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」30 天正20年10月2日付の小…

徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、小早川氏に関係したものとして、天正20年(1592)10月2日付の小早川秀秋宛豊臣秀吉朱印状が掲載されており、次のように解説されています。 「『唐入り』が進行する天正20年(1592)、当時丹波中納言と呼ばれてい…
コメント:0

続きを読むread more

音楽探訪42 83歳の加山雄三さんの歌う「海・その愛」・5年前の新聞記事・中学1年の時に見た「海の若大将」「エレキ…

 逗子マリーナでの無観客イベント「加山雄三の新世界」の様子が、BS朝日の番組「歌っていいだろう」で放送されていました。若いアーティストたちが、加山さんの名曲を取り入れそれを新たな世界に構築し直した歌を歌っていましたが、加山さん自身も「海・その愛」を熱唱していました。加山さんの海に対する思いがよく表れている曲で、海が「あしたの希望」や「や…
コメント:0

続きを読むread more

石田三成の実像2903 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」49 中西氏「第一章 龍造寺・鍋島氏にとって…

 中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、中西氏が担当されている「第一章 龍造寺・鍋島氏にとっての『関ヶ原』、江上八院の戦い」の中で、勝茂が領国に戻った後の、鍋島直茂らの動きにについて、次のようなことが記されています。  「10月初旬、勝茂が率いて帰国した龍造寺・鍋島軍の兵数は7000と伝えられてい…
コメント:0

続きを読むread more

日本文学探訪129 森鴎外の小説「高瀬舟」 安楽死がテーマ・授業で取り上げた際の生徒の感想文

 森鴎外の小説「高瀬舟」も、安楽死をテーマにした小説です。鴎外も軍医でしたから、手塚治虫さんの「ブラックジャック」に登場する「ドクター・キリコ」のように瀕死の患者を多く見てきただけに、安楽死の問題を常に考えていたのでしょう。  この小説は、高瀬舟で罪人を護送する役目を担っている同心の羽田庄兵衛と、弟殺しの罪で遠島になって、大坂まで…
コメント:0

続きを読むread more

石田三成の実像2902 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」8 水野伍貴氏「徳川家康の戦い」6 三成の家康邸襲撃…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の水野伍貴氏の「徳川家康の戦い」の中で、家康の婚姻が問題になった頃に、三成が家康を襲撃する噂があったとする「板坂卜斎覚書」「当代記」の記載に関して、否定的見解が示されています。  すなわち、「大身の大名である四大老が味方にいる状態で、三成が単身決起に近い形で襲撃を企てるとは考え難い(…
コメント:0

続きを読むread more