旅行記234 1980年の友達との初めてのフランス旅行10 エクス・アン・プロヴァンスを訪ねたものの、セザンヌのア…

1980年夏のN君との初めてのフランス旅行ですが、マルセイユ市内観光をした次の日は、まず駅の両替所へ行ったところ、閉まっていました。次に港近くにある両替所まで足を伸ばしましたが、開いていたもののスイスフランに替えてもらえませんでした。予定では、翌日にスイス入りをするつもりでしたが、この日は土曜日で、この分では日曜もスイスフランに両替でき…
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石田三成の実像2931 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか…

 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、本城惣右衛門は、前述したように、本能寺の際、明智光秀側の軍勢に加わったことが記されていますが、それまでの明智軍による丹波攻めにも加わったことも述べられています。もっとも、最初は天正3年以前の丹波国の小室城攻めと…
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旅行記233 1980年の友達との初めてのフランス旅行9 マルセイユで2泊・パレ・ロンシャン公園散策・イフ島の牢獄…

1980年夏のN君との初めてのフランス旅行では、南フランスのアルルからマルセイユまで移動し、二泊しました。電車で40分程の距離でした。まず駅近くでホテルを探し、ホテルに荷物を預けてから、市内散策をしました。    セルフ・サービスの店で昼食を取った後、パレ・ロンシャンを訪ねましたが、「パレ」は宮殿という意味で、見るからに宮殿風の趣き…
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石田三成の実像2930 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」39 文禄2年7月12日付の蜂須…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、蜂須賀氏に関係したものとして、文禄2年(1593)7月12日付の蜂須賀家政宛徳川家康書状が掲載されており、次のように解説されています。  「徳川家康から蜂須賀家政に宛てられた書状。第二次晋州城の戦いの直後にあた…
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旅行記232 1980年の友達との初めてのフランス旅行8 一緒にアヴィニョンに行く・法王庁・アヴィニョン橋

1980年夏の初めてのN君とのフランス旅行の際、一人でアルルの町をめぐった次の日も、午前中はアルルの城壁を見、橋をわたって対岸に出て、町はずれまで歩いてゆきました。再び町に戻り、N君と合流しました。待ち合わせの時間は正午で、それから国鉄で一緒にアヴィニョンに行きました。アルルの北にあり、少し電車で戻る形になります。  着いたのが1時。…
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石田三成の実像2929 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」17 水野伍貴氏「徳川家康の戦い」15 江戸にとどま…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の水野伍貴氏の「徳川家康の戦い」の中で、小山から8月5日に江戸に戻った家康の動きについて、次のように記されています。  「家康は江戸に帰還した後もすぐには西上を開始せず、西上を開始するのは岐阜城攻略の報せを受けた後の9月1日である。徳川秀忠の中山道進軍の目的が、信州上田の真田昌幸をは…
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旅行記231 1980年の友達との初めてのフランス旅行7 パリからアルルまで国鉄で七時間・アルルでは別々に泊まる・…

 1980年の友達のN君との初めてのフランス旅行では、パリに十二泊した後、南フランスのアルルまで国鉄で七時間近くかけて行きました。窓口で切符を買う時、「アルル」という言葉が通じるか不安でしたが、ちゃんとわかってくれました。なにしろ、最初の「ル」は「R」、二つ目の「ル」は「L」ですから、続いて発音するのが難しいのです。  それはよかった…
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石田三成の実像2928 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか…

 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、本城惣右衛門が、天正12年の小牧・長久手の戦いにおける伊勢亀山城攻撃に従軍したことについて、次のように記されています。  「攻める秀吉方の部将は、中川秀政、高山右近、堀尾吉晴であり、守城側は織田信雄の家臣の滝…
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旅行記230 1980年の友達との初めてのフランス旅行6 パリ3日目で八ミリ故障・パリ最後の日は土産を探してカルテ…

 1980年のN君との初めてのフランス旅行の時は、最初は専ら八ミリで撮影していましたが、パリ3日目に早くも故障してしまいました。近くのカメラ屋に持って行ったのですが、すぐには直せず、修理に出せば、1ヶ月かかるというので断念せざるをえませんでした。それからはカメラで撮るしかありませんでしたが、八ミリが壊れたのは大きな痛手でした。八ミリが主…
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石田三成の実像2927 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」38 天正20年6月3日付の蜂須…

徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、蜂須賀氏に関係したものとして、天正20年(1592)6月3日付の蜂須賀家政宛豊臣秀吉朱印軍令書が掲載されており、次のように解説されています。  「天正20年(1592)に開始される『唐入り』において、家政は阿波の…
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旅行記229 1980年の友達との初めてのフランス旅行5 レストランは「ル・ム二ュ」を見て決める・パリ11日目は郊…

 1980年の初めてのフランス旅行の時は、食費もなるべく抑えましたが、安いレストランを探すためには、店の前の看板に記されている「ル・ムニュ―」のところを見ればよいと、これも留学中のT君に教えてもらいました。「ムニュ」はメニュ―のことですが、店の看板に記されているのは、むしろ「定食」という意味と考えた方がいいと思います。「ル・ムニュ」には…
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石田三成の実像2926 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」16 水野伍貴氏「徳川家康の戦い」14 小山評定はあ…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の水野伍貴氏の「徳川家康の戦い」の中で、家康は諸将と軍議を開いた上、会津攻めを中止して西上することを決めた「小山評定」について、拙ブログ記事で前述したように、白峰氏が否定的な見解が示されているのに対して、水野氏は本多隆成氏と同様、肯定的な見解が示され、それに関して福島正則宛徳川家康書状…
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旅行記228 1980年の友達との初めてのフランス旅行4 パリで泊ったホテルは一つ星・パリ10日目はアンバリッドか…

ホテルを決めずに、海外旅行へ行ったのは、1980年の初めてのフランス旅行の時だけですが、現地に行ってホテルが取れるのかという不安は常につきまといました。特に帰りのチューリッヒ発の飛行機の日時は決まっていたので、南フランスを経由してスイスに入り、チューリッヒまでうまくたどりつけるか、ひやひやしました。  留学中のT君から、ホテルを見て星…
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石田三成の実像2925 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか…

 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、本城惣右衛門が、天正13年の羽柴秀長の紀伊攻略に従軍したことについて、次のように記されています。  「天正13年(1585)の羽柴秀長の紀伊攻略では、本城惣右衛門は羽柴秀長の指揮下において戦闘行動をおこなって…
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旅行記227 1980年の友達との初めてのフランス旅行3 パリに12泊・地下鉄の回数券をフルに活用し市内を精力的に…

 1980年夏の初めてのN君とのフランス旅行の際、まずパリに12泊しましたが、市内をめぐる時には、専らメトロを利用しました。地下鉄の窓口で「アン カルネ」というと、十回使える回数券を売ってくれます。普通の切符を買うより、随分格安です。   ある時、私が買って、N君や学生のTさんに手渡そうとしたら、もう一つ手が差し出されました。フランス…
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石田三成の実像2924 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」37 蜂須賀蓬庵(家政)像 慶長…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、蜂須賀氏に関係したものとして、「蜂須賀蓬庵像」が掲載されており、次のように解説されています。  「蜂須賀氏は尾張を出自とし、織田信長に仕えた正勝が秀吉の与力に付属されたことで、秀吉の右腕として力量を発揮し、彼と…
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旅行記226 1980年の友達との初めてのフランス旅行2 飛行機で一緒になった学生とも4日間同室・帰国後、まだフラ…

1980年夏のN君との初めてのフランス旅行の際、飛行機で乗り合わせた九州大学医学部の学生のTさんが、一人では不安なのでしばらくわれわれと同じ部屋に泊めてもらってよいかと申し出て来たので、二人とも了承して最初の4日間、そうしました。もともと二人用の部屋でしたが、補助ベッドを使い、交替で補助ベッドに寝ました。  授業で生徒にこういう体験談…
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石田三成の実像2923 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」15 水野伍貴氏「徳川家康の戦い」13 小山評定はあ…

白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の水野伍貴氏の「徳川家康の戦い」の中で、家康は諸将と軍議を開いた上、会津攻めを中止して西上することを決めた「小山評定」について、拙ブログ記事で前述したように、通説とは違ってこういう評定はなかったとする白峰氏の否定的な見解に対して、水野氏は本多隆成氏と同様、肯定的な見解が示されています。水…
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旅行記225 1980年の友達との初めてのフランス旅行1 留学している友達を頼って・まずカルティエ・ラタンへ

 NHKの番組「世界ふれあい街歩きSP」で、さまざまな国の街の音楽が特集されていましたが、パリのカルティエ・ラタンで歌う女性歌手とアコーディオン奏者も紹介されていて、パリの雰囲気をしばし味わいました。「ラタン」は「ラテン(語)の」、「カルティエ」は「地区」の意であり、ソルボンヌ大学の学生たちがラテン語で話し合っていたことに由来します。今…
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石田三成の実像2922 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか…

 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、本城惣右衛門が、慶長5年7月の伏見城攻めに、豊臣公儀側の増田長盛の指揮下で戦ったその内容が具体的に記されており、その内容について、白峰氏の同書にまとめられていますが、それについて次のような考察もされています。 …
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高校一年生の時の夏休み2 手に負えなかった地学の宿題・日本文学全集購入・始業式の日に読書感想文書き直し・石坂洋次郎…

 日記によると、高校一年生の時、岐阜の両親の実家に18日間行っていた間、小学校時代からの親友のF君は、お母さんの実家である東京に1週間程行っていました。岐阜から戻って3日後に宿題に取り組んでいる彼の家に行きましたが、数学の質問攻めにあったものの、私もさっぱりわからない難問ぞろいでした。二人とも手に負えなかったのは、地学の宿題である水系・…
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石田三成の実像2921 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」36 「宇喜多氏分限帳」 宇喜多…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、宇喜多氏に関係したものとして、「宇喜多氏分限帳」が掲載されており、次のように解説されています。  「宇喜多氏分限帳は、豊臣期における宇喜多氏家中の人名と知行高が書き上げられた帳簿で、その写本が数多く伝来している…
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高校一年生の時、岐阜の両親の実家に18日間滞在・薮川で泳ぐ・妹の理科の自由研究や担任への暑中見舞文を手伝う・父の実…

 今年の夏はコロナ禍で帰省もままならなかったという人が多かったのはなんとも気の毒なことですが、今から53年前の高校一年生の時の日記を読み返していたら、夏休み、岐阜の両親の実家に18日間も行っていました。行きは妹と二人で、お盆の4日間は両親も駆け付け、帰りは家族一緒でした。そのため、夏休みの最初に宿題のかなりの部分を急いで済ませました。 …
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石田三成の実像2920 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」14 水野伍貴氏「徳川家康の戦い」12 小山評定はあ…

白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の水野伍貴氏の「徳川家康の戦い」の中で、家康は諸将と軍議を開いた上、会津攻めを中止して西上することを決めた「小山評定」について、通説とは違ってこういう評定はなかったとする白峰氏の否定的な見解に対して、水野氏は本多隆成氏と同様、肯定的な見解を示されています。小山評定論争については、拙ブログ…
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安倍長期政権の手法と弊害・高校一年生の時に行なわれた吉田茂元首相の国葬の時の日記の記述

 長期政権は、腐敗を生むとはよく言われますが、安倍政権もそうでしたし、佐藤内閣もそうでした。大学時代、デモなどに参加した時は、佐藤内閣退陣要求などを掲げていました。  安倍首相辞任による総裁選は、党員選挙は行わず、派閥の論理で菅首相ということで決まりそうです。安倍政権の継承ということで、あまり改革に期待はできないどころか、安倍政権の数…
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石田三成の実像2919 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか…

白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、本城惣右衛門が、慶長5年7月の伏見城攻めに、豊臣公儀側の増田長盛の指揮下で戦ったその内容が具体的に記されており、その内容について、白峰氏の同書にまとめられていますが、その続きです。  「(6)その戦闘は味方(攻…
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中島みゆきさんが国語教師にならなかった理由・国語の正解を一つにする難しさ

 中島みゆきさんは国文の出身で、国語の教員免許を持っていますが、教員にならなかったのは、教育実習の時の経験があったからだと、かつてNHKFMの番組でおっしゃっていました。すなわち、指導書には、ここの文章はこういうふうに解釈するのが正解だと書いてあって、その通りに教えたところ、後で生徒がこういうふうに解釈できませんかと言いに来て、確かにそ…
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石田三成の実像2918 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」35 「戸川家譜」・宇喜多氏惣国…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、宇喜多氏に関係したものとして、「戸川家譜」が掲載されており、次のように解説されています。  「戸川氏は直家・秀家に二代にわたり、宿老として宇喜多氏に仕えてきた。本資料は、戸川氏の末裔が同氏の家伝を編纂したもので…
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和田裕弘氏の論考「豊臣秀吉の実子といわれる『石松丸』について」2 秀吉と赤松氏の娘との間に生まれた「太郎」・秀頼が…

 和田裕弘氏の論考「豊臣秀吉の実子といわれる『石松丸』について」の中で、秀吉の実子として、赤松氏の女性との間に「太郎」という男子を儲けたという史料も紹介されています。その史料は、岡山藩「家中諸士家譜五音寄」「吉備温故秘録」で、播磨赤松氏の家臣だった肥塚大炊介(助)は、秀吉が赤松家と和睦した時、秀吉に召しだされ、秀吉が赤松氏の娘「大田」と…
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石田三成の実像2917 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」13 水野伍貴氏「徳川家康の戦い」11 家康は上杉氏…

白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の水野伍貴氏の「徳川家康の戦い」の中で、家康は上杉景勝の返事いかんにかかわらず、上杉攻めをする予定だったという見解が述べられていますが、それを示すものとして、慶長5年(1600) 5月26日付と推定される浅野長政宛浅野幸長書状も挙げられ、その内容について、次のように記されています。…
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