石田三成の実像2948 高橋陽介氏「本多隆成氏の『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』を拝読して」2 7月19日に福島正則が家康に西上することを命じられたとする白峰旬氏の説をめぐって

 高橋陽介氏の「本多隆成氏の『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』を拝読して」(織豊期研究会発行「織豊期研究 第22号」に掲載)の中で、小山評定の有無をめぐっての本多氏と白峰旬氏との議論について、主要な論点は二つにしぼられていると記されています。
 一つ目の論点は、福島正則が7月19日に西上したとする白峰氏の説に関する議論です。白峰氏がその根拠として挙げられているのは、「福島氏系譜」所収の7月19日付の福島正則宛徳川家康書状写であり、「武徳編年集成」所収の、同じような内容の7月24日付の福島正則宛徳川家康書状写は、日付と文言が改竄されたと論じられています。
 それに対して、本多氏は「武徳編年集成」所収の7月24日付の福島正則宛徳川家康書状写の方を採用し、それを根拠に、福島正則は7月24日に家康から宇都宮方面から小山へくるように指示されたと論じられています。
 この論点について、高橋氏は「『7月25日に小山で何らかの談合・評定が行われた』という前提で、7月19日に福島正則が西上を命じられたとは考えられないか」という疑問点を挙げられています。
 そういう疑問点を持った経緯が高橋氏の同書で述べられていますが、まず水野伍貴氏の見解が紹介されています。水野氏は、福島正則宛徳川家康書状写自体が、偽文書とされたものの、小山評定の存在は肯定されています。そういうことから、「本多氏の説が『福島正則宛徳川家康書状』を抜きにしても成立するのであれば、7月25日に小山で何らかの談合・評定が行われたとしても、同書状の日付が7月19日で問題ないだろう」と高橋氏は論じられています。
 高橋氏は、現段階では、本多氏や水野氏と同様、小山評定は行われたとする見解ですが、福島正則宛徳川家康書状を水野氏は偽文書としているのに対して、高橋氏はその書状について偽文書としては断定せず、白峰氏の見解に従って、7月19日に福島正則は家康に西上を命じられたという可能性を指摘されているわけです。
 この書状については、偽文書かそうでないのか、よく検討する必要があるように思いますが、尾張に所領を持つ福島正則が7月19日に西上を命じられたことについて、高橋氏は家康が美濃に所領を持つ稲葉通孝に7月18日、領国へ帰るように命じていること、7月20日に同じく美濃に所領を持っている加藤貞泰に会津への出陣延期を事後承諾していることが根拠として挙げられています。それらのことから、福島正則が、この時点で西上を命じられたこともありうるのではないかと論じられてるわけです。このことが、二つ目の疑問点です。そう考えれば、福島正則の西上が命じられたことも不自然ではなくなります。またこの説によれば、家康は18日の時点で、上方で三成・大谷吉継の挙兵を知っていたということになります。

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