大阪探訪45 備前島があったあたりを散策4 大阪市立桜宮小学校の「創立80周年記念誌」に400年前の備前島の地図・都島のマンションに住んだ7年間・馴染みの場所だった大川・桜之宮公園

 大阪市立桜宮小学校が昭和61年に発行した「創立80周年記念誌 わたしたちの町 桜宮」の中に、今から約400年前の都島区の地図が掲載されていますが、三角形のような形をした備前島が載っています。すぐ北に野田村があり、備前島に行くには、南から京橋、備前島橋を渡って行くか、東側から野田橋を渡るか、西側から川崎の渡しを舟で渡る方法があったようです。石田三成は備前島の屋敷から、備前島橋、京橋を渡って、大坂城に登城し、政務に当たっていたものと思われます。
 DSCN9902.JPGDSCN9914.JPGDSCN9913.JPG 現在、川崎橋が架かっていますが、川崎の渡しはこのあたりにあったものと考えられます。川崎橋からは大阪城がはっきり見えます。川崎橋の東側の網島町あたりが、備前島のあったところだと推定できます。
 DSCN9906.JPGDSCN9900.JPGDSCN9905.JPG 桜宮小学校の「創立80周年記念誌」が手元にあるのは、当時、都島のマンションに住んでいたからで、地元の住民に無料配布されました。都島には7年間住みましたが、最初の5年は独身生活、最後の2年は結婚生活を送りました。大川沿いの桜之宮公園は馴染み深いところで、天満橋からマンションまで桜之宮公園の中を通って歩いたことが何度もありますし、娘が赤ん坊の時はベビーカーに乗せて花見などに来たものです。天神祭も見に行きましたし、マンションの屋上から花火を眺めたこともありました。妻も最初は働いていましたが、育児休暇がない時代で、毎日一時間の育児時間しか取れないので、0歳の時から私立保育園に預けていましたが、奈良に転居したのを機会に、退職して専業主婦になりました。
 今も大川や対岸の眺めなど風情があり、当時とその雰囲気はあまり変わっていません。もっとも、当時は大阪アメニティパークなどはありませんでしたし、川沿いに建つ高層ビルや高層マンションの数はまだ少なかった覚えがあります。

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