石田三成の実像2981 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」19 各人物の表記は『様付』『殿付』『敬称なし』の3区分・三成は『殿付』

 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、「本城惣右衛門覚書」から得られる知見について提示されていますが、そのうち各人物の表記が表3としてまとめられ、次のように記されています。
 「『本城惣右衛門覚書』では、各人物の表記について、『様付』、『殿付』、『敬称なし』に3区分できる。表3を見ると、『様付』は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という天下人と、その親族(織田信雄、羽柴[豊臣]秀長、豊臣秀頼、宇喜多秀家、松平忠直)というように、かなり高位の人物に限定して使用されている。(中略)
 表3を見ると、『殿付』は、明智光秀、滝川一益、高山右近、堀尾吉晴、藤堂高虎、井伊直孝、長宗我部盛親など大名クラスのほか、赤井忠家、波多野秀治のような戦国時代の国人クラスにも使用されている。また、明智秀満、斎藤利三のような明智光秀の重臣クラスにも使用されている。この場合、敵対した時点での明智光秀、滝川一益にも『殿付』が使用されている点は注意される。また、石田三成、増田長盛、徳善院玄以(前田玄以)のような五奉行クラスについても『殿付』である。
 表3を見ると、『敬称なし』は、戦いで共に戦った同輩クラスに使用されているケースが多い。ただし、筒井順慶のような大名クラス、荒木氏綱のような国人クラスでも『敬称なし』のケースがある。明智光秀は上記のように『殿付』のケースがあるが、それは1例のみであり、他の5例は『敬称なし』であり、『あけち』というように名字のみの『敬称なし』にしている点は、明智光秀が本能寺の変で謀反をおこしたことと関係するのかもしれない」と。
 身分によって、厳密な敬称の使い方がされていることがわかります。それは本城惣右衛門だけではなく、当時の人々は敬称の使い分けをしていたものと思われます。同「覚書」では、三成は「殿付」で表記されているわけですが、秀吉時代の官位としては従五位下であり、家格としては 「諸大夫成」でした。矢野健太郎氏によれば、豊臣政権時代、家格としては豊臣宗家が「摂関成」、徳川家康、徳川秀忠、前田利家、毛利輝元、上杉景勝、宇喜多秀家、小早川秀秋らが「清華成」、島津義弘、佐竹義宣、長宗我部盛親、井伊直政、福島正則、細川忠興らが「公家成」、黒田長政、藤堂高虎、小西行長、大谷吉継、増田長盛、小西行長、長束正家、安国寺恵瓊らが「諸大夫成」でした。
 同「覚書」では、明智光秀は「殿付」と「敬称なし」の場合があり、使い分けがされているわけですが、光秀が謀反人となったことが関係しているのではないかという指摘は、十分うなずけるものがあります。豊臣三奉行によって慶長5年7月17日付で出された家康弾劾状である「内府ちかひの条々」では、家康のことを「内府公」と呼び、敬称が付いていますが、ほぼ同じ内容を記した、上杉景勝に送ったと推定される増田長盛・石田三成連署条目には、家康には敬称が付いていません。このことについて、家康に敬称を付けないところに、家康に対する三成の思いがよく表れているのではないかと桐野作人氏は指摘されています。

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