石田三成の実像2993 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」34 本間宏氏「上杉景勝の戦い」14 上杉氏と佐竹氏…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、本間宏氏の「上杉景勝の戦い」の中で、上杉氏と佐竹氏の同盟について、次のように記されています。 「8月4日、佐竹氏からの密使が直江兼続の陣を訪れた。佐竹氏の同盟要請に対し、兼続は独断でこれを了承し、使者を帰している(『8月5日付直江兼続書状写』【歴代古案】)。同日、景勝は兼続からの…
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緊急事態宣言下、母の代理で受診1 城東川(運河)沿いに済生会野江病院まで歩く 

 大阪の済生会野江病院で母の乳がんの診察を半年ごとに受けているのですが、本来なら本人を連れて行かなければならないものの(エコー写真を撮った上で、ホルモン剤を処方してもらっています)、1月の診察は緊急事態宣言が出されている状況で、94歳の高齢で足腰が弱り車椅子で連れていかなければならず、外出すれば感染リスクが高まるということもあって、担当…
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石田三成の実像2992 白峰旬氏「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」13 京…

 白峰旬氏の論考「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」(2020年発行『別府大学紀要』第61号所載)の中で、第23条の「京極高知は三河国を通って清須城(尾張国)へ着陣した旨の報告があった」と現代語訳されている部分について、次のように解説されています。 「8月21日(この書状の日付)の時点で、京極高知…
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50年前の大学合格電報・現役、浪人で受験した大学はそれぞれ1校のみ・大学に入ることだけが目的化している現状・入試制…

 50年前の大学の合格通知の電報が手元に残っています。合格発表は大学のキャンパスであったのですが、見に行くのに交通費と時間が結構かかるので、料金が安い電報を頼みました。電報は大学が行っているものではなく、学生たちが請け負ってしているものでした。  当時、国公立大学は授業料が格別安かったので、経済的に苦しいわが家でも行けたのですが、私立…
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石田三成の実像2991 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか…

 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、「本城惣右衛門覚書」から得られる知見について提示されていますが、そのうち人名の読み方についての指摘の続きです。 「③『太閤』は、通説では『たいこう』という読み方であるが、当時は『たいこ』と読んだ可能性がある、…
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今や高校と予備校は持ちつ持たれつの関係・12年前のセンター試験直前に出した学級通信

 教員になった当時、高校と予備校は一線を画していましたし、交流を持たないようにしていました。それがいつしか、持ちつ持たれつの関係へと変化していきました。受験指導も、かつては高校での実力テストの結果などをもとに行ってきましたが、予備校の全国レベルのデータ収集力には勝てず、生徒のセンター試験の点数などを予備校に送った上で、志望する大学・学部…
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石田三成の実像2990 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」33 本間宏氏「上杉景勝の戦い」13 越後一揆に対す…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、本間宏氏の「上杉景勝の戦い」の中で、直江兼続が越後一揆に対する指示を与えていることについて、次のように記されています。 「兼続は7月28日以降、若松にいる山田喜右衛門尉(秀次)に対して、越後一揆に関する指示を連日のように下している。8月4日の書状では、一揆は堀氏の領内に限定し、豊臣…
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永田和宏さんが亡き愛妻の河野裕子さんのことを詠んだ短歌・河野さんの辞世の歌をめぐっての解釈の違い

 朝日新聞の「喪の旅」欄に、歌人で細胞生物学者の永田和宏さんのことが取り上げられていました。妻でやはり歌人だった河野裕子さんが亡くなって10年余り経ちますが、最愛の妻を失った寂しい思いをずっと短歌に詠んできたことなどが記され、その歌も一部紹介されていました。    あほやなあと笑ひのけぞりまた笑ふあなたの椅子にあなたがゐない …
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石田三成の実像2989 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか…

白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、「本城惣右衛門覚書」から得られる知見について提示されていますが、そのうち人名の読み方についての指摘の続きです。   「②増田長盛の読み方は、通説では『増田』は『ました』という読み方であり、『ました』であれば通説…
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「巻雲短歌会」の歌誌発行のための編集作業・今回は印刷所訪問は一回だけで済ます・天理駅前で今後の打ち合わせ

 9日の午後、「巻雲短歌会」の歌誌発行のため、共同代表の三嶋健男氏と共に印刷所に最終校正原稿とそのデータが入ったUSBを持って行きました。コロナ禍以来、三嶋氏とは会っていなかったので、ほぼ1年ぶりの再会となります。会員の短歌作品の添削は、2人で分担しておこない、それらの作品と文章の入力も2人がしました。三嶋氏から入力したものをメールに添…
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石田三成の実像2988 白峰旬氏「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」12 石…

 白峰旬氏の論考「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」(2020年発行『別府大学紀要』第61号所載)の中で、第20条の「(大久保長安から)深志(=松本)への書状(=松本城主・石川康長への書状)を遣わしたので 安心するように」、第21条の「松本(城主の石川康長)へは何事も大久保長安次第に申し付けるべき旨…
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京都探訪328 出町妙音堂(弁財天)へもお参り・後伏見天皇の女御となった西園寺寧子の念持仏が本尊・大光明寺を創建・…

 幸神社にお参りした後、出町橋のそばにある出町妙音堂(弁財天)へもお参りしました。このお堂の本尊は、青龍妙音弁財天画像ですが、鎌倉時代、西園寺寧子が後伏見天皇の女御として入宮する時、念持仏として持参し、伏見離宮(伏見殿) に祀られました。江戸時代の享保年間に、伏見殿が出町北鴨口に移転した際、本尊も移りました。明治時代になって、本尊は…
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石田三成の実像2987 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」32 本間宏氏「上杉景勝の戦い」12 菅原義勝氏「最…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の本間宏氏の「上杉景勝の戦い」の中で、家康に対する弾劾状である「『内府ちがひの条々』は、兼続を介して奥羽諸将に伝送されたのである」と記されていることは前述しましたが、それを知った奥羽諸将の動きについて、次のように記されています。  「最上義光のもとに参陣していた秋田氏、南部氏、仙北衆…
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京都探訪327 幸神社へ初詣・主祭神は猿田彦大神・良縁に恵まれるという神石

 今年の初詣は9日に京都の幸神社(さいのかみのやしろ)に行きました。以前から気になっていた神社ですが、お参りするのは初めてでした。京阪の出町柳駅から西に歩き、突き当たりの出町商店街を通り抜けて、その北側の道を少し西に行ったところにあります。小さな神社で、他には参拝者はいませんでした。平安京が創建された時、御所の鬼門の位置を守る神社として…
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石田三成の実像2986 白峰旬氏「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」11 …

 白峰旬氏の論考「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」(2020年発行『別府大学紀要』第61号所載)の中で、第19条の「浅野幸長(=この時点で清須城[尾張国]に在陣していたか?)から念を入れて、一つ書き(の書状)をもって家康に申し上げた」と現代語訳されている部分について、「このことは、『(慶長5年)8…
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旅行記245 35年前の12日間の新婚旅行8 アテネでかろうじてパルテノン神殿などを見学・夕方の便で帰国・成田経由…

1986年1月2日、ロードス島の空港に再び行きましたが、前日の便で出発する予定だったので、キャンセル待ちの状態になり、ようやく11時発のオリンピック航空の飛行機に乗ることができ、正午にアテネに着きました。4時40分発の便でアテネからKLMの飛行機で帰国の途に就かねばならなかったので、昼食を取る時間もなく、アクロポリスの丘にあるパルテノン…
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石田三成の実像2985 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか…

 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、「本城惣右衛門覚書」から得られる知見について提示されていますが、そのうち人名の読み方について、まず次のように指摘されています。  「①滝川一益の読み方は、通説では『滝川』は『たきがわ』と読んでいるが、通説とは…
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旅行記244 35年前の12日間の新婚旅行7 1月1日はロードス島の市内観光・購入した絵皿・夜にアテネへ飛行機で行…

 1月1日は朝10時の集合でした。みんな夜中遅くまで起きていたので、遅めの出発になりました。ロードス島の旧市街の城跡や町並みを散策しましたが、午後は自由行動だったので、ホテル近くの港や風車、わずかに開いている店(ほとんどの店は閉まり閑散としており、正月気分はほとんど味わえませんでした)を見て回ったり、セルフサービスの店で紅茶とケーキを口…
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石田三成の実像2984 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」31 本間宏氏「上杉景勝の戦い」11 「内府ちがひの…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の本間宏氏の「上杉景勝の戦い」の中で、家康が自分に対する弾劾状である「内府ちがひの条々」が出されていることを知った前後の動きについて、次のように記されています。  「7月29日、徳川家康は、家康の所業を弾劾する『内府ちがひの条々』および7月17日付豊臣氏三奉行副状が全国に発送されてい…
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旅行記243 35年前の12日間の新婚旅行6 大晦日の朝、ロードス島に着き、昼まで寝る・午後はリンドス遺跡見学・レ…

 35年前の大晦日、アテネ空港のロビーで夜中4時間近く過ごしましたが、ほとんど眠れず、ロードス島に向かう早朝の5時40分発の飛行機の中で、ようやく1時間近く寝ました。ホテルに着くと、早速、朝食を取りましたが、ツアー客みんなしんどそうでした。その後、2時間半程、部屋で寝ましたが、完全な寝不足状態でした。  疲れている中、1時に集合し、ホ…
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石田三成の実像2983 白峰旬氏「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」10 秀…

 白峰旬氏の論考「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」(2020年発行『別府大学紀要』第61号所載)の中で、書状の記述から秀忠の出陣目的が上田城攻めであったことが指摘されているのは前述しましたが、その解説の続きです。  「徳川秀忠が信濃国に向けて宇都宮城(下野国)から出陣したのは8月24日である。『…
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旅行記242 35年前の12日間の新婚旅行5 ストで飛行機が飛ばずローマ市内に戻って自由行動・スペイン広場などを回…

 新婚旅行の際、12月30日はホテルに泊まれず、アテネ空港で夜中を過ごすはめになりまた。本来は、ローマから飛行機でアテネ経由でロードス島に向かう予定でしたが、アテネ空港の従業員ストのあおりを受けて、予定の飛行機が飛ばなくなりました。一旦、ローマ空港にバスで向かいましたが、すぐに飛ぶ別の飛行機は見つからず、夜10時半に離陸するカンタス航空…
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石田三成の実像2982 番組「決戦!関ケ原 『空からスクープ 幻の巨大山城』」3 大谷吉継が松尾山の麓に布陣した痕…

 番組「決戦!関ケ原 『空からスクープ 幻の巨大山城』」の中で、小早川秀秋の裏切りを察知した大谷吉継は、松尾山の麓に布陣したという説が出されていました。その根拠となるのは、やはり赤色立体図であり、千田嘉博氏は、その陣跡を実際に探索し、急ごしらえで作った堀の跡などを確認されていました。  番組で関ヶ原の戦いの経緯は、家康方軍勢がまず、松…
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旅行記241 35年前の12日間の新婚旅行4 パリのデバートで買物・ローマ空港に着いた前日にテロ事件・コロッセオで…

 新婚旅行は、パリに2泊した後、12月28日、夕方の飛行機でローマに行きました。ドゴール空港から2時間のフライトでした。ちなみに、スペインからフランスに入国する時は、オルリー空港からでしたが、その5年前に友達とフランスに入国したのもオルリー空港でした。   その日の午前中はパリで自由行動だったので、地下鉄でデパート「プランタン」へ行っ…
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石田三成の実像2981 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか…

 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、「本城惣右衛門覚書」から得られる知見について提示されていますが、そのうち各人物の表記が表3としてまとめられ、次のように記されています。  「『本城惣右衛門覚書』では、各人物の表記について、『様付』、『殿付』、…
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旅行記240 35年前の12日間の新婚旅行3 パリ二日目の市内観光、午後は自由行動・夜は「ムーラン・ルージュ」でナ…

 85年の新婚旅行の際、パリ二日目の午前中は、市内観光ツアーで、エッフェル塔がよく見える場所、モンマルトルの丘、サクレクール寺院などを回りましたが、いずれも5年前に友達と巡ったところだけに、懐かしさに駆られました。  昼からは自由行動だったので、二人で地下鉄に乗りコンコルド広場に出て、オランジュリー美術館を見学しました。オランジュリー…
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石田三成の実像2980 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」30 本間宏氏「上杉景勝の戦い」10 伊達政宗による…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の本間宏氏の「上杉景勝の戦い」の中で、家康の会津攻め中止の報を受け取った伊達政宗のその直後の動きについて、次のように記されています。  「家康からの一報が、最上義光を経由して伊達政宗に届いたのは8月3日であった。家康の方針転換を知らなかった伊達政宗は、7月24日に家康に無断のまま白石…
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旅行記239 35年前の12日間の新婚旅行2 クリスマスの日はトレド観光・夕食は店が開いていないため部屋で菓子で済…

 マドリッド2日目は、クリスマス当日で、午前中は古都トレド観光をしました。町の景観は美しく、旧市街を歩き、500年かかって出来上がった大聖堂や画家のグレコの家などを見ました。キリストの生誕の様子を再現したオブジェがあり、クリスマスであることをわずかに感じることができました。  ツァーに昼食が付いていましたが、普通のレストランはほとんど…
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石田三成の実像2979 番組「決戦!関ケ原 『空からスクープ 幻の巨大山城』」2 松尾山城の布陣の仕方で小早川秀秋…

 番組「決戦!関ケ原 『空からスクープ 幻の巨大山城』」では、小早川秀秋が布陣したとされる松尾山にも、千田嘉博氏が登ってその遺稿を確認し、次のような見解を示されていました。尾根を平らに削り取って、陣小屋を建てて大軍を配備していたこと、しかし、不可解なことに、陣小屋があるのは切岸の外側であり、守りを考えるなら普通は切岸の内側に布陣するはず…
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旅行記238 35年前の12日間の新婚旅行1 1月3日に帰国・マドリッドでクリスマスを迎えたものの、雰囲気はあまり…

  昨年の12月22日で結婚して35年になりました。最初は記念日に外でちょっとしたランチを食べることも考えたものの、コロナの感染拡大で先延ばしにし、京都の「若菜屋」の栗菓子を買ってきて、夕食のデザートに食べるというささやかなものになりました。栗入り抹茶饅頭の「抹茶栗璞(りつぼく)」を口にしましたが、栗の入った独特のあんの味が絶妙でした。…
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今年の干支を折り込んだ折句歌・石田三成の実像2978「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状…

 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。  う(憂)きことの  しき(頻)りなる世に  のぞ(望)み持ち  とき(時)に流されず  しんじつ(真実)見極む            ※「うしのとし」を折り込んだ「折句歌」です。  さて、白峰旬氏の論考「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大…
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