大阪探訪49 四天王寺の安政地震津波碑・境内は子供の頃の遊び場で昆虫採集したところ・浪人時代は朝にランニング

IMGP9385.JPGIMGP9384.JPG 
 朝日新聞の「いにしえナビ」のコーナーで「四天王寺の安政地震津波碑」が紹介されていました。1854年11月4日、5日に発生した、安政東海地震、南海地震の際、大坂にも大津波が押し寄せ、死者は1万人にのぼったという説もあるということです。翌年に32人の町人らが、犠牲者を追悼し「海鳴があったり潮の干満が乱れたりした時には、津波の前兆と考えて避難するように」という忠告や被害の実情などを記した碑が建てられました。もっとも、津波碑は塔の中心にある細長い石柱だけで、周りを取り囲むのは寺の無縁墓や地蔵です。
IMGP9389.JPG
 碑はもとは元三大師堂前の池に独立して建てられていましたが、周囲に墓地ができ無縁墓が増えたため、今の場所に移築されました。四天王寺は上町台地の上に建立されていますが、かつてはすぐ西のところまで海が迫っていました。
 私は四天王寺のそばで生まれ育ったので、珍しい形の墓だと小さい頃から思ってきましたが、中心が津波碑だと知ったのは後年のことです。子供の頃は四天王寺の境内や墓場は遊びや昆虫採集の場所でした。墓場で虫取りをしていたのは今から思えば、不謹慎なことですが。
 浪人時代は、自宅浪人でしたから、運動不足を補うため境内を毎朝、三週走っていました。もっとも、走り終わって家に戻ると、大抵そのままばたんと倒れ、二十分程横になってようやく体が回復しました。なにしろ、高校時代、持久走は苦手でしたから。子供の頃からたびたび喘息の発作が出ていましたから、体力もなく、肺活量も少なかったに違いありません。喘息は24歳の頃まで続きました。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント