新聞記事「キリスト教研究でガラシャ『美貌』論争」 井上章一氏の否定的見解・クレインス氏の肯定的見解 石田三成の実像3005 三成の兵がガラシャ夫人を人質に取ろうと来たのは誤り

 朝日新聞の「単眼複眼」のコーナーで「キリスト教研究でガラシャ『美貌』論争」と題する記事が載っていました。明智光秀の娘で細川忠興に嫁いだガラシャ夫人(玉子)が美貌の人だったというのが通説ですが、井上章一氏は否定的見解を述べられています。すなわち、同時代の文献上の記録に、ガラシャを美貌の人として取り上げたものはなく、イエズス会が日本での布教活動を宣伝する中で、キリスト教に改宗したガラシャを美化したこと、ヨーロッパでは、殉教を余儀なくされた女性達が美術作品などで美貌の人となっていく傾向があり、ガラシャもそうであり、明治時代になって、そういうイメージが日本に「凱旋帰国」し、それが定着したことなど。
 井上説に対して、フレデリック・クレインス氏は、「明智軍記」に「容色殊に麗しく」という記述があると指摘されました。しかし、井上氏は「明智軍記」は100年近く経って書かれたもので、信憑性は低いと反論しました。クレインス氏はガラシャ夫人が歌や琴、笛の演奏が巧みだったために舅の細川藤孝に可愛がられたという記述が「明智軍記」だけでなく、「忠興公譜」やルイス・フロイスの「日本史」にもあること、ガラシャ夫人の手紙からは、非常に優しく思いやりのある人だったことがわかり、内面が美しかったので、容姿も美しいと思えてしまうことなどを指摘されています。
 これらの記事を読む限りでは、井上氏に分があるように思えます。容姿がどうだったにせよ、ガラシャ夫人が非業の死を遂げたことで美化したのはキリスト教だけではありませんでした。細川家も江戸時代の後期に玉子の死を神聖化したということが、金子拓氏の「記憶の歴史学」で指摘されています。
IMGP5309.JPG 写真はガラシャ夫人が亡くなった細川屋敷跡に建つ大阪カテドラル聖マリア大聖堂にある彼女の像です。
 その記事の、細川ガラシャについての説明の中で、「関ヶ原合戦の直前、石田三成の人質になることをこばみ、自害したとされる」と記されており、その表現に引っかかりました。関ヶ原合戦を家康対三成の戦いと捉えることがあまりにも多く、この説明にもそういう捉え方が反映されているように思います。関ヶ原合戦は、最近の研究では、秀頼を推戴した二大老・四奉行が中心の豊臣公儀軍と家康主導軍の戦いということが明らかになっています。しかも、細川ガラシャが自害した時(7月17日)、桐野作人氏が指摘されているように、三成は近江の佐和山城にいて、大坂城には来ていませんでした。佐和山に隠居していた三成が奉行に正式に復帰するのは、7月30日に大坂城に入城した直後です。ですから、ガラシャを人質に取るため細川屋敷に押し寄せたのは、豊臣公儀方の軍勢であり、三成の軍勢だったとは考えにくいものがあります。人質に取ることを提唱したのは三成かもしれませんが、あくまで豊臣公儀側の人質という扱いでした。
 

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