大阪探訪52 大手前高校の「集中セミナー」の講座「大阪における関ヶ原の戦いと大坂の陣の関連遺跡を訪ねて」(2006年)3 真田信繁の終焉地とされる安居神社・付記 終焉地はもっと北だったとする新出史料 

 2006年に行なった、大手前高校の「集中セミナー」の講座「大阪における関ヶ原の戦いと大坂の陣の関連遺跡を訪ねて」ですが、 一心寺の道路をはさんですぐ北側にある安居神社を訪ねました。真田信繁(幸村)が大坂夏の陣で家康本陣に襲いかかり、一時は家康を追い込む活躍を見せるものの、多勢に無勢で戦死したとされる場所で、生徒にもそのように話しました。しかし、その後、丸島和洋氏の「真田四代と信繁」(平凡社新書)の中で、新出史料が紹介されています。すなわち、越前松平藩士の家譜である「忠昌様大坂ニ而(て)御戦功有増(あらまし)」に、信繁が生玉と勝鬘(しょうまん)の間の高台で休んでいたところを、越前藩士の西尾仁左衛門(久作)が通りかかって、鑓を交わして信繁を討ち取ったと。
 生玉は現在、生国魂神社、勝鬘は現在、愛染堂勝鬘院(大阪の夏祭りは「愛染さん」から始まります)があるあたりですから、この史料によれば、信繁の戦死地は安居神社よりもっと北ということになります。丸島氏は安居神社討死説は誤伝だと指摘されています。信繁が実際、どこで亡くなったのか、改めて再検討する必要があるように感じます。
 IMGP9343.JPGIMGP9317.JPGIMGP9342.JPGIMGP9292.JPGIMGP9311.JPG 写真は安居神社で行われた「真田幸村公戦没400年供養祭」の折に撮ったものです。盛大に営まれていました。毎年、5月5日に安居神社で幸村祭が行われています。実際、信繁が亡くなったのは、5月7日ですが。

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