石田三成の実像3007 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」39 本間宏氏「上杉景勝の戦い」19 伊達に奪われた…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、本間宏氏の「上杉景勝の戦い」の中で、慶長5年8月23・24日の直江兼続の動きについて、次のように記されています。 「8月23日、景勝は伊達政宗に奪われた白石方面を攻撃するため、援軍を派遣した。兼続は前線に在陣する直属の家臣に宛てて、信達地方(信夫郡と伊達郡)の軍勢を総動員して攻撃…
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大阪探訪50 大手前高校の「集中セミナー」の講座「大阪における関ヶ原の戦いと大坂の陣の関連遺跡を訪ねて」(2006…

 大阪府立大手前高校の「集中セミナー」で、「大阪における関ヶ原の戦いと大坂の陣の関連遺跡を訪ねて」という講座を担当し、22名の希望生徒を引率してめぐったのは2006年のことですが、半日のコースだったので、ごく一部しか回れませんでした。天王寺に集合して茶臼山、一心寺、安居神社、清水寺(新清水)の玉出の滝(ここは関連遺跡ではありませんが、生…
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石田三成の実像3006 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか…

 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、「本城惣右衛門覚書」から得られる知見について提示されていますが、使用されている一般名詞(普通名詞)、一般動詞の表記を表にしてまとめられていますが、それをもとに次のような点が指摘されています。  「『惣右衛門覚…
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信長の妻は「帰蝶」ではなく「胡蝶」だったとする松浦由起氏の新説・桐野作人氏の否定的見解・総見院にある墓は帰蝶とは断…

 大河ドラマ「麒麟がくる」では、斎藤道三の娘で信長の妻となった女性の名は「帰蝶」になっていましたが、「胡蝶」ではないかとする松浦由起氏の新説が新聞で紹介されていました。その説によれば、「帰蝶」と記されているのは、江戸時代の地誌である「美濃国諸旧記」だけで、その原本はみつかっておらず、現存するのは1915年に出版された活字の翻刻本のみで、…
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新聞記事「キリスト教研究でガラシャ『美貌』論争」 井上章一氏の否定的見解・クレインス氏の肯定的見解 石田三成の実像…

 朝日新聞の「単眼複眼」のコーナーで「キリスト教研究でガラシャ『美貌』論争」と題する記事が載っていました。明智光秀の娘で細川忠興に嫁いだガラシャ夫人(玉子)が美貌の人だったというのが通説ですが、井上章一氏は否定的見解を述べられています。すなわち、同時代の文献上の記録に、ガラシャを美貌の人として取り上げたものはなく、イエズス会が日本での布…
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石田三成の実像3004 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」38 本間宏氏「上杉景勝の戦い」18・菅原義勝氏「最…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、本間宏氏の「上杉景勝の戦い」の中で、慶長5年8月18日付の直江兼続宛最上義光書状写について取り上げられていますが、次のように記されています。 「そこには、嫡子義康をはじめとする人質を指図次第に差し出すこと、自分は一方の軍勢を引き連れ、景勝のもとでどの方面にでも出兵することなどが記…
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大阪探訪49 四天王寺の安政地震津波碑・境内は子供の頃の遊び場で昆虫採集したところ・浪人時代は朝にランニング

   朝日新聞の「いにしえナビ」のコーナーで「四天王寺の安政地震津波碑」が紹介されていました。1854年11月4日、5日に発生した、安政東海地震、南海地震の際、大坂にも大津波が押し寄せ、死者は1万人にのぼったという説もあるということです。翌年に32人の町人らが、犠牲者を追悼し「海鳴があったり潮の干満が乱れたりした時には、津波の前兆と考…
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大阪探訪48 番組「ニッポン不滅の名城 『大坂城』」2 徳川時代の大坂城は西国支配の拠点・内堀の一部を埋め立て本丸…

 NHKの番組「ニッポン不滅の名城 『大阪城』」で、徳川秀忠が秀吉の大坂城を埋め立てて、新たな大坂城を作った理由について、秀吉の痕跡を消し去るためだけではなく、大坂城を西国支配の軍事拠点とするためでもあり、さらには秀忠が隠居した後、大坂城に住むことも考えていたと城郭考古学者の千田嘉博氏が説明されていました。それを示す小堀遠州の書状が最近…
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石田三成の実像3003 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか…

 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、「本城惣右衛門覚書」から得られる知見について提示されていますが、そのうち使用した武器に関する記載について、慶長5年の伏見城攻めの記載から、次のような点が指摘されています。 「攻囲側に『たいこさま御てっぽう…
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大阪探訪47 番組「ニッポン不滅の名城 『大坂城』」1 秀吉時代の大坂城のメインストリートは大手前高校グラウンドの…

秀吉時代の大坂城の天守は、今の大阪城の天守閣の北東に建てられていました。NHKの番組「絶対行きたくなる!ニッポン不滅の名城 『大阪城』」で、そのことに触れられていましたが、その際、「ブラタモリ」で有名になった京都高低差崖会崖長の梅林秀行氏が、大阪府立大手前高校のグラウンドの北側の道に立って、この道が豊臣時代の城下町のメインストリー…
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石田三成の実像3002 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」37 本間宏氏「上杉景勝の戦い」17 8月25日付の…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、本間宏氏の「上杉景勝の戦い」の中で、慶長5年8月14日に若松城に戻った兼続の動きについて、次のように記されています。 「結城朝勝が仲介した佐竹氏の使者を迎えた。その後、景勝の関東出兵を求める二大老・四奉行(毛利輝元、宇喜多秀家、長束正家、増田長盛、石田三成、前田玄以)の返書案を起…
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子供の頃は切手収集ブーム・郵便局に長い行列・今は記念切手の値打ちがなくなり原価割れ・切手アルバムへの愛着

短歌誌を会員の人々に発送する作業も、共同代表の人と二人で行いましたが、これが結構手間がかかりました。添える手紙を書くのも時間が要ります。一人一人書く内容が違いますので、一枚書いてコピーするというわけにもいきません。封筒に貼る切手は、子供の頃から収集したものが大量にありますので、現在発行されている切手と混ぜて使っています。   私が子供…
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石田三成の実像3001 白峰旬氏「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」16 家…

 白峰旬氏の論考「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」(2020年発行『別府大学紀要』第61号所載)の中で、第31条の「金や代物【しろもの】(=金銭に代わる品物)がどれほど必要であっても言って欲しい。どれほどでも出すつもりである」と現代語訳されている部分について次のように解説されています。  「家康…
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朝日新聞の「今こそ見たい 子供向け教育番組」の第二位の「おかあさんといっしょ」娘が小さい頃一緒に見ていた番組 自作…

 朝日新聞の土曜版の「今こそ見たい」のコーナーで、「子供向け教育番組」として、読者のランキングで二位に選ばれていた「おかあさんといっしょ」ですが、娘が小さい頃、一緒によく見ていました。その当時は、歌のおにいさんは坂田おさむさん、歌のおねえさんは神崎ゆう子さんでしたが、二人とも子供に馴染みやすい存在でした。私は特に神崎さんが素敵で気に入っ…
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石田三成の実像3000 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか…

 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、「本城惣右衛門覚書」から得られる知見について提示されていますが、そのうち使用した武器について次のように記されています(前半部分)。 「本城惣右衛門が使用した武器は鑓、刀であったことがわかる。鑓は攻城戦で使用し…
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朝日新聞「今こそ見たい 子供向け教育番組」の第1位は「ひょっこりひょうたん島」大人も楽しめ深いものがある人形劇・個…

 朝日新聞の土曜版の「今こそ見たい」のコーナーで、「子供向け教育番組」として、読者のランキングで一位に「ひょっこりひょうたん島」、二位に「おかあさんといっしょ」、三位に「ピタゴラスイッチ」が選ばれていました。  「ひょっこりひょうたん島」は、「子供向け教育番組」の範疇には入らないほど、大人が見ても楽しめ、パロディーに富んでいながら内容…
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石田三成の実像2999 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」36 本間宏氏「上杉景勝の戦い」16 兼続は福島へ移…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、本間宏氏の「上杉景勝の戦い」の中で、家康軍が撤退したと兼続が知った前後のことについて、次のように記されています。 「兼続は安子ヶ島在陣中に本庄繁長と面談し、以後の方策を協議したようである(『本庄氏記録』)。そして8月8日には米沢への伝馬を手配し、自身は安子ヶ島から福島へと移動した…
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自作短歌の周辺44 巻雲短歌会の歌誌最新号に載せた載せた文章「植村武先生の短歌とロシア語の翻訳」・「連作『歪められ…

 短歌会の歌誌の最新号に載せた拙文は、「植村武先生の短歌とロシア語の翻訳」と「連作『歪められた歴史』について」の二つです。前者は以前、拙ブログに何回かに分けて掲載したものを見直して、まとめたものです。ソ連政府が発行した「世界文学シリーズ」の「日本詩歌集」に、「巻雲短歌会」の創始者である植村先生の短歌五首がロシア語に翻訳されて載っています…
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石田三成の実像2998 白峰旬氏「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」15 上…

 白峰旬氏の論考「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」(2020年発行『別府大学紀要』第61号所載)の中で、第30条の「その谷(=木曽谷)での『口留』(=人や物資の出入を取り締まること)のことは厳しく命じて、上方より来た書状共は、奥筋(=奥州[東北地方]の方面)と(その)近国の者に対する計策(=計略)…
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「森喜朗会長の処遇の検討および再発防止を求めます」キャンペーンに賛同・ 思い出 長時間の大阪府立茨田高校の進級判定…

「女性蔑視発言『女性入る会議は時間かかる』森喜朗会長の処遇の検討および再発防止を求めます #ジェンダー平等をレガシーに」キャンペーンに賛同し、電子署名しました。森氏は発言を撤回、謝罪しましたが、それで済む問題ではなく、五輪憲章に反した今回の発言は、五輪バラリンピック大会組織委員会の会長として不適格であると云えます。評議員会の中でも、この…
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石田三成の実像2997 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか…

 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、「本城惣右衛門覚書」から得られる知見について提示されていますが、そのうち人名の読み方についての指摘の続きです。 「⑦川瀬又兵衛の又兵衛は『又びやうへ』(つまり、史料の表記を補正すると『またびょうえ』になる)と…
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自作短歌の周辺43 巻雲短歌会の歌誌最新号に載せた作品・かつて修学旅行作品集や学年通信などに掲載したものを見直し

 巻雲短歌会の歌誌の最新号を発行しました。今回が145号です。今は1年に1回しか発行できませんが、半世紀余りにわたって出している歌誌ですから、少なくとも150号までは出したいと思っています。主宰者の植村紀子先生の死後、共同代表の三嶋健男氏と共に編集作業を行い、この体制で3号発行したことになります。今回、載せた自作短歌のうち、コロナ禍の中…
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石田三成の実像2996 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」35 本間宏氏「上杉景勝の戦い」15 兼続が家康追撃…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、本間宏氏の「上杉景勝の戦い」の中で、家康軍が撤退したと兼続が噂で知った直後のことについて、次のように記されています。  「兼続のもとには、家康軍が小山から撤退したとの噂が7月27日頃から伝わっていた。しかし真偽の判断がつかず、家康が江戸に帰城している8月5日の段階においても『内府…
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京都探訪330 隠退していた若冲が、錦市場の再開に尽力 錦市場の若冲の絵のシャッターラッピング

  若冲が錦市場の青物問屋の家督を弟に譲って画業に専念するようになったのは40歳の時ですが、石峰寺の五百羅漢像の制作を始めたのは61歳の頃だと言われています。石峰寺に隠棲したのは76歳の時、亡くなったのは85歳でした。  石峰寺の境内には五百羅漢だけでなく、釈迦の誕生仏、托鉢修業、説教場、賽の河原を表した石像など広範囲にわたって置かれ…
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石田三成の実像2995 白峰旬氏「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」14 豊…

 白峰旬氏の論考「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」(2020年発行『別府大学紀要』第61号所載)の中で、第30条の「その谷(=木曽谷)での『口留』(=人や物資の出入を取り締まること)のことは厳しく命じて、上方より来た書状共は、奥筋(=奥州[東北地方]の方面)と(その)近国の者に対する計策(=計略)…
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京都探訪329 龍谷大前深草駅から石峰寺へ・若冲の墓・制作した五百羅漢 ドラマ探訪47「ライジング若冲」大典顕常と…

 2月1日に公開した記事ですが、先に公開すべき記事を改めて2月1日付記事で公開したため、3日付記事に持ってきました。改めて2月1日付け記事の方にも目を通していただければと思います。ややこしくてすみません。  済生会病院に行った帰り、京阪電車の龍谷大前深草駅で降りて、約30年ぶりに石峰寺を訪ねました。京阪電車の龍谷大前深草駅は琵琶湖疏水…
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石田三成の実像2994 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか…

 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、「本城惣右衛門覚書」から得られる知見について提示されていますが、そのうち人名の読み方についての指摘の続きです。 「⑤斎藤利三は、通説では、斎藤内蔵助(くらのすけ)と表記されるが、当時は『内蔵助』ではなく『蔵介…
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緊急事態宣言下、母の代理で受診2 以前は「一心」で母、妹と一緒に通院前に昼食・済生会野江病院との縁

 済生会野江病院での代理受診は午後からだったので、妹と病院の近くにあるうどん屋「一心」で昼食を取りました。母が歩ける時は、3人一緒にこの店で昼食を取っていたのですが、車椅子になってからは、この店で昼食を取ったのは一度だけでした。車椅子は店の外に置かねばならなかったためです。それからは母は施設で昼食を取り、われわれは施設近くの店で食べ、そ…
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