石田三成の実像3042 オンライン三成会の初めてのリモート飲み会3 「鷹狩書状が秀次宛とするならば、それはいつか?」
三成会の初めてのオンライン飲み会の話題「鷹狩書状が秀次宛とするならば、それはいつか?」について、某中納言宛の鷹狩書状は春に書かれたものと思われることから、中井俊一郎氏は議論の資料として、秀次が天正15年11月22日に中納言になって以降の、秀次の春の行動、三成の春の行動、秀吉の鷹狩の状況が表にして示されていました。
中井氏はこの書状が秀次宛のものとするならば、天正19年の春の可能性が高いと指摘されていました。その表によると、この年、秀次は「閏1月 奥羽より帰京、在国」、「6月下旬 在国」している一方、三成は同年「2月中旬 奥羽より帰京」、「4月中旬 秀吉の大津行に従う」と記されています。秀吉の鷹狩に関しては、天正16年2月から天正19年1月まで畿内で8回行っており、天正19年閏1月には、秀次の領国である尾張清洲で行っています。
三成の鷹狩書状からは中納言との親密な関係がうかがえますから、中納言が秀次だとすれば、三成が秀次の追い落としを謀ったとする江戸時代からの通説に対する反証の一つとなります。秀次事件に関しては、秀吉は秀次を切腹させるつもりはなく、しばらく高野山に蟄居させて復帰させるつもりだったものの、秀次が秀吉の意に反して切腹してしまったという矢野健太郎氏の見解があり、飲み会でも言及されていました。三成の思いとしても、秀頼がまだ幼少で、もし秀頼の身に何かあれば、秀吉の跡を継ぐ者がなくなってしまいますから、豊臣家を存続させるためにも、秀次の命を奪うことは考えられないことです。飲み会でも、そういう意見が出ていましたし、私もオンライン三成会編「三成伝説」(サンライズ出版)の「紀伊・高野山」の章の中で、そういうことを述べました。現に秀吉の子の鶴松は幼くしてなくなっていますから、秀頼もそうならないという保証はありません。もっとも、秀頼がもっと成長して大きくなれば、秀吉は秀次を排除することも考えたかもしれないという意見は出ていましたが。
いずれにせよ、上記の鷹狩書状が秀次宛のものとすれば、三成と秀次の関係の親密さがうかがえることになり、そういう点で、この書状の重要性が増すことになります。もっとも、今のところ、この書状が秀次に宛てたものだとする決定的な根拠はなく、それを裏付けることが今後、必要になってきます。
この鷹狩書状に関しては、中野等氏は「石田三成伝」(吉川弘文館)の中で、上杉景勝宛のものだという見解を示されていますし、中井氏は「石田三成からの手紙」(サンライズ出版)の中では、織田秀信宛のものだと記されていました。今回、中井氏は新たに秀次宛のものである可能性もあるという見解を示されたことで、この中納言が誰かということについての議論も、ますます活発になってゆくのではないでしょうか。
中井氏はこの書状が秀次宛のものとするならば、天正19年の春の可能性が高いと指摘されていました。その表によると、この年、秀次は「閏1月 奥羽より帰京、在国」、「6月下旬 在国」している一方、三成は同年「2月中旬 奥羽より帰京」、「4月中旬 秀吉の大津行に従う」と記されています。秀吉の鷹狩に関しては、天正16年2月から天正19年1月まで畿内で8回行っており、天正19年閏1月には、秀次の領国である尾張清洲で行っています。
三成の鷹狩書状からは中納言との親密な関係がうかがえますから、中納言が秀次だとすれば、三成が秀次の追い落としを謀ったとする江戸時代からの通説に対する反証の一つとなります。秀次事件に関しては、秀吉は秀次を切腹させるつもりはなく、しばらく高野山に蟄居させて復帰させるつもりだったものの、秀次が秀吉の意に反して切腹してしまったという矢野健太郎氏の見解があり、飲み会でも言及されていました。三成の思いとしても、秀頼がまだ幼少で、もし秀頼の身に何かあれば、秀吉の跡を継ぐ者がなくなってしまいますから、豊臣家を存続させるためにも、秀次の命を奪うことは考えられないことです。飲み会でも、そういう意見が出ていましたし、私もオンライン三成会編「三成伝説」(サンライズ出版)の「紀伊・高野山」の章の中で、そういうことを述べました。現に秀吉の子の鶴松は幼くしてなくなっていますから、秀頼もそうならないという保証はありません。もっとも、秀頼がもっと成長して大きくなれば、秀吉は秀次を排除することも考えたかもしれないという意見は出ていましたが。
いずれにせよ、上記の鷹狩書状が秀次宛のものとすれば、三成と秀次の関係の親密さがうかがえることになり、そういう点で、この書状の重要性が増すことになります。もっとも、今のところ、この書状が秀次に宛てたものだとする決定的な根拠はなく、それを裏付けることが今後、必要になってきます。
この鷹狩書状に関しては、中野等氏は「石田三成伝」(吉川弘文館)の中で、上杉景勝宛のものだという見解を示されていますし、中井氏は「石田三成からの手紙」(サンライズ出版)の中では、織田秀信宛のものだと記されていました。今回、中井氏は新たに秀次宛のものである可能性もあるという見解を示されたことで、この中納言が誰かということについての議論も、ますます活発になってゆくのではないでしょうか。
この記事へのコメント