石田三成の実像3067 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」79 太田浩司氏「石田三成の戦い」15 大津に護送される途中につながれたと云われる和田神社の大銀杏

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、太田浩司氏の「石田三成の戦い」の中で、三成の捕縛地について、次のようにまとめられています。
 「三成捕縛地は江戸時代から諸説あるが、吉政や三成の生国である北近江であったことは間違いない。生国であるからこそ、三成は逃亡先に選び、吉政はその追捕を命じられた。この一件は、三成にとっても吉政にとっても、不思議な因縁を抱かされることになったであろう。三成が捕縛されたのは9月21日」と。
 確かに捕縛地には諸説あるものの、拙ブログで前述したように、古橋であるのは、伝承などから見てもほぼ確かなことではないでしょうか。オンライン三成会編「三成伝説」(サンライズ出版)の「近江・古橋」の章のコラム「古橋の『都市伝説』」には、三成にまつわる古橋の言い伝えが七つ紹介されています。「養子を他村から入れない(『三成を古橋で匿っていることを告げ口したのが他村から来た養子だった』ということから)」などというものです。
 三成が吉政に形見として与えた脇差「石田貞宗」が現存しています。自分を手厚くもてなしてくれたことに感謝してのものですが、「常山紀談」には、三成が吉政に対して「腹の調子が悪いので韮雑炊を食べさせて欲しい」と頼んだという記述があり、そういうことから、上述の古橋の言い伝えにも、「腹痛には韮がゆ」があることが、やはり「三成伝説」に記されています。
 その後の三成について、太田氏の同書には次のように記されています。
 「井口村で3日を過ごした三成は24日、吉政に連れられて中山道の経路を上り、翌日には徳川家康の大津の陣営に到達した。なお、東海道沿いにある大津市木下町の和田神社には、大津の天然記念物となっている銀杏の大木が現存する。この木は、捕らえられた三成が大津へ輸送される途中つながれたという伝承がある」と。
 この和田神社については、石田多加幸氏の「石田三成写真集」(新人物往来社)の中で、「三成が繋がれた大銀杏」として紹介されており、私も訪ねたことが数回ありますし、拙ブログでも取り上げました。この大銀杏について、「樹高24m、樹齢約600年、和田神社の神木である」と説明されています。
 なお、同写真集には、三成が潜伏していたとされる大蛇の岩窟の写真も掲載されています。また三成が田中吉政と対面した時に、「すこしも卑屈なところがなく、昔のように『田兵』(田中兵部大輔)と呼び、『秀頼公のために害を除き、太閤殿下のご意思に報いようと思ったのに、武運つたなくこの有り様になった』と言い、秀吉から拝領した脇差・貞宗をかたみとして吉政に授けたという」などということも記されています。

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