大河ドラマ探訪474 「青天を衝け」 家康遺訓とされる「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し」は水戸光圀作という徳川義宣氏の見解

img107.jpg 大河ドラマ「青天を衝け」で、家康の「御遺訓」とされる「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し」という言葉が出ていました。私もこれは家康自身の言葉だと長い間思ってきましたし、自分が書いた文章でもこの言葉を引用した覚えがあります。しかし、2004年6月5日付の朝日新聞土曜版の「ことばの旅人」の記事の中で、そうではないということが明らかにされていました。当時の尾張徳川家21代当主の徳川義宣氏の研究で、水戸光圀作と伝えられた文書が、いつの間にか徳川家康の遺訓にすり替わったということがわかりました。しかし、今でも広く家康の言葉だと信じられているように思いますし、「青天を衝け」でもそのように描かれていました。
 これも家康神話の一つです。江戸時代は、家康は神君扱いでしたから、家康の言動に尾ひれがついて、どんどん拡大して行き、家康に関係していないことでも、家康に関連づけて事実であるかのように見なされるようになりました。関ヶ原の戦いも、家康の活躍を強調するあまり、家康が松尾山で動かず様子見をしていた小早川秀秋に鉄砲を撃ちかけて裏切りを促し、その脅しが効を奏して秀秋が家康側に寝返ったという、いわゆる家康の「問鉄砲」の話が、長い間、ずっと事実と信じられてきましたし、小説やドラマでもそのように描かれてきました。しかし、それは創作であることが、近年、白峰旬氏の研究によって明らかになりました。一次史料などの分析によって、小早川は戦いの最初から裏切っており、「問鉄砲」の話は一切出て来ないこと、それが時代が進んで、軍記物などが書かれていくにつれ、まことしやかに「問鉄砲」の話が語られるようになります。
 「青天を衝け」で時々、家康が出てきて、解説する描き方も気になります。演じている北大路欣也さんは存在感があっていいのですが、徳川寄りの立場で語られるのは、これも徳川史観の一つではないかと思ってしまいます。むろん、幕末がとかく薩長側からの見方で描かれることが少なくなく、明治維新をいいように捉えがちなのですが、幕府側からの見方をはじめとした多角的な視点から明治維新というものを検証し、その功罪を明らかにすることが必要です。しかし、だからと言って、幕末のドラマに家康まで登場させるのは違和感を覚えますし、やり過ぎの感が否めません。このあたりは賛否の分かれるところでしょうが。

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