石田三成の実像3105 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」117 大西泰正氏「前田利長の戦い」10 外岡慎一郎…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、大西泰正氏の「前田利長の戦い」の中で、8月3日、大聖寺を攻略した後の利長の動きについて、次のように記されています。  「そのまま加賀、越前の国境を越えたが、伏見落城と越後における一揆の蜂起を知って軍勢を引き返した(『前田育徳会所蔵文書』ほか)。金沢城に戻る途上にあった8月9日、小…
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旅行記263 1983年の中国研修旅行16 万里の長城、十三陵、定陵などを廻り、夜は北京ダック

1983年8月9日(中国旅行13日目)は、万里の長城、十三陵、定陵、天安門広場などを廻り、夜は北京ダックを食べました。  万里の長城で見学できるところは一部です(われわれが行ったのは八達嶺)が、それでもその壮大さを改めて実感しました。遠くはるかなところまで、延々と長城が続いているのが、目でも確認でき、よくもこれほど大きなものを作ったも…
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石田三成の実像3104 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」116 大西泰正氏「前田利長の戦い」9 外岡慎一郎氏…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、大西泰正氏の「前田利長の戦い」の中で、関ヶ原大乱の際、利長は家康側に付いていたことが具体的に述べられていますが、大乱のきっかけとなった家康による会津攻めの際には、利長は「最上義光を先手として出羽米沢(山形県米沢市)へ進出、北方から上杉方に攻めかかる手筈であった(『歴代古案』)」と記…
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旅行記262 1983年の中国研修旅行15 泰山から寝台車で北京へ・午後から頤和園、故宮(紫禁城)、日壇公園などを…

1983年8月8日(中国旅行12日目)、泰山から北京に列車で移動しましたが、泰山のホテルを出発したのは、夜中の1時半でしたから、ホテルで少し仮眠を取った程度でした。列車は寝台車でしたが、よく眠れたかどうかは覚えていません。この日もハードなスケジュールでした。正午に北京駅に着き、昼食を取った後、北京大学、頤和園(いわえん)、故宮(紫禁城…
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石田三成の実像3103 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」115 大西泰正氏「前田利長の戦い」8 芳春院が江戸…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、大西泰正氏の「前田利長の戦い」の中で、家康と利長の講和が最終的な決着を見たのは、慶長5年5月と考察されています。そのことについて、次のように記されています。  「上方にいた亡き利家の正室芳春院や、利長の有力家臣横山長知や前田長種らから差し出された人質が江戸へ下り、その代わりであろ…
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旅行記261 1983年の中国研修旅行14 泰山登山・行きは日本人が開発したロープウェイ・帰りは長い階段を下る 

コロナが収束しても、中国の今の体制が変わらない限り、中国へ行くつもりはありませんが、1983年当時は、日中友好ムードに包まれていました。 それが天安門事件で大きく変わり、言論の自由もなくなってきました。最近、とみにその傾向が強まり、香港の状況を見てもそれがよくわかります。   夏休みを利用しての2週間の研修旅行(費用は個人持ちでしたが…
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石田三成の実像3102 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」114 大西泰正氏「前田利長の戦い」7 家康による前…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、大西泰正氏の「前田利長の戦い」の中で、家康が「加賀征伐」の態度を示したり、軍事行動を発令したりしたという事実は同時代史料からは確認できないと、否定されています。そういう俗説の出所について、山鹿素行の著書「武家事紀」が挙げられ、大西氏の同書では次のように記されています。  「延宝元…
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旅行記260 1983年の中国研修旅行13  孔子の故郷の曲阜・祀られている孔廟・一族の墓がある孔林・屋敷跡であっ…

  1983年の中国研修旅行10日目、孔子の故郷である曲阜へ行きました。 兗州駅からバスで30分程です。 孔子が祀られている孔廟、孔子や子孫の墓などがある孔林、子孫などがかつて住んでいた屋敷跡である孔府などがあり、全部合わせると広大な敷地です。 屋敷跡がホテルになっていて、そこに泊まりましたが、中庭を囲むように部屋が並んでおり、中庭には…
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石田三成の実像3101 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」113 大西泰正氏「前田利長の戦い」6 家康によって…

白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、大西泰正氏の「前田利長の戦い」の中で、慶長4年9月以降、家康によって豊臣政権か ら排除された利長と家康の関係の極度の悪化について、次のように記されています。 「9月27日、通路の封鎖を聞いた利長は、越後の大名堀秀治に対し、家康が何かこの利長を疑っているのか、どういう事情…
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大阪探訪64 リーガロイヤルホテル 2006年の大阪府立大手前高校創立120周年記念式典・メインロビーの大絨毯・就…

 ワクチン接種を大阪国際会議場で受けた際、隣のリーガロイヤルホテルのロビーにも少し立ち寄りました。大阪府立大手前高校で勤務していた2006年、創立120周年記念式典が国際会議場で、祝賀会がリーガロイヤルホテルで行われました。記念式典の際の記念演奏会では、大手前卒業生のオーボエ奏者の古部賢一氏の独奏、オーケストラや合唱団とのコラボもあり、…
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石田三成の実像3100 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」112 大西泰正氏「前田利長の戦い」5 家康による豊…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、大西泰正氏の「前田利長の戦い」の中で、三成が奉行職を解かれて佐和山に引退した後の利長の動きについて、次のように記されています。  「慶長4年(1599)の8月、利長は大坂を離れて北陸へ帰国した。帰国の理由も詳しい月日も定かでないが、上方で政変が起こったのはその直後である」と。 …
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大阪探訪63 ワクチン2回目接種の前に「堂島クロスウォーク」にあるカレー店「ディワリ」で昼食

   ワクチン2回目接種の前、昼食は商業施設「堂島クロスウォーク」にあるインドカレーの店「ディワリ」で取りました。あらかじめネットで飲食店を探し、場所を確認していました。幸い、席が空いていたので、セットランチを頼み、ゆっくりと味わいました。カレーは何種類かの中から選べたので、ほうれん草とチキンのカレーにしました。ドリンクも選べ、アイス…
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石田三成の実像3099 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」111 大西泰正氏「前田利長の戦い」4 大老としての…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、大西泰正氏の「前田利長の戦い」の中で、「大老」に昇格した利長の負担が大きすぎたと指摘されていますが、そのことについて、次のように記されています。  「徳川家康が、自身を引き立てると述べたことを、利長は利家生前の3月24日、江戸の徳川秀忠(家康の後継ぎ)への書状のなかで語った(『服…
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大阪探訪62 福島正則が植えたとされる「蛸の松」・尊攘派の志士が集まった「雙(双)松岡塾」跡碑

  ワクチン2回目接種の前に、大阪大学中之島センターの前を通って東に歩き、田蓑橋を渡りましたが、橋の北詰の堂島川のたもとに「蛸の松」があります。福島正則が植えたと伝わる黒松で、枝ぶりが蛸の泳いでいる姿に似ていることから名付けられたと云います。もっとも、今の「蛸の松」は二代目で、初代の松が植えられていたのは現在、大阪大学中之島センターが建…
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石田三成の実像3098 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」110 大西泰正氏「前田利長の戦い」3 利長が大老に…

白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、大西泰正氏の「前田利長の戦い」の中で、前田利長が「大老」に昇格した時期について、次のように考察されています。   「慶長4年3月13日、利長の妹婿である『大老』宇喜多秀家が、同じく『大老』の徳川家康宛てに起請文を作成し、そのなかに家康と利長が協力して尽力するならば、自身(秀家)もま…
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大阪探訪61 医学部跡に建つ大阪大学中之島センター・大学生のモニュメント・現役の時、阪大本部まで合格発表を見に行っ…

 2回目ワクチン接種の前に、大阪大学中之島センターへ行きました。目下、改修工事中でした。ここにはかつて大阪大学の医学部がありました。本部もかつては中之島にあり、現役の時、受験した阪大の合格発表は中之島の本部構内でありました。理学部物理学科を受けました(受験会場は豊中市の理学部キャンパスでした)が、肝心の物理の新傾向の問題が全く解けなかっ…
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石田三成の実像3097 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」109 大西泰正氏「前田利長の戦い」2 利家死後の領…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、大西泰正氏の「前田利長の戦い」の中で、前田利家没後の、前田氏の状況について、次のように記されています。  「前田氏の領国三ヵ国は、利家の死後、その領地(加賀二郡)を受け継ぎ、越中とあわせて支配する利長と、能登を領する利政との兄弟による支配体制に移行した。だが、二人はともに豊臣政権…
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1964年の東京五輪6 記念切手・夏休みの自由研究も五輪・芸術的な市川崑の記録映画を大臣らが批判し修正

 前回の東京五輪の際は、オリンピックが中学校の夏休みの自由研究の課題にもなりました。自分が何を調べて何を書いたかは覚えていませんが、模造紙に記念切手を貼り付けたことはよく覚えています。この記念切手は、前もって6回にわたって発行されました。5円切手ですが、寄付金が5円付いて10円で販売されました(3枚1組のものは30円、4枚1組のものは4…
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石田三成の実像3096 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」108 大西泰正氏「前田利長の戦い」1 実体以上に誇…

白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、大西泰正氏の「前田利長の戦い」の冒頭、利長に対する評価について、次のように記されています。  「筆者はこの章の主人公の発給文書を1600通程度確認、整理したが、晩年の筆まめなところを除けば、さほど個性的な人物ではない。不器量ともいえないが、明治維新まで連綿として続いた加賀藩とそ…
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1964年の東京五輪5 男子体操の遠藤幸雄選手は3個の金メダル・流行語「ウルトラC」 体育館でテレビ観戦したマラソ…

 写真は前回の東京五輪の際に、毎日新聞から発行された絵葉書の第五集で、これが最後です。   男子体操もレスリングと同じく5個の金メダルを獲得し、中でも遠藤幸雄選手は、団体、個人総合も含めて3個獲得しています。写真は個人総合で、鉄棒の演技をしている時の遠藤選手です。当時、最高難度の演技はCでしたが、男子日本の体操の演技はそれ以上だという…
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石田三成の実像3095 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」107 外岡慎一郎氏「大谷吉継の戦い」12 関ヶ原の…

白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、外岡慎一郎氏の「大谷吉継の戦い」の中で、関ヶ原の戦いで生き残った吉継の子や家臣について、次のように記されています。  「大谷大学助は大坂の陣では豊臣方に参じ、真田信繁のもとで戦い戦死したと伝える。寺田はこのとき京極の陣にあったことになる。また関ヶ原での寺田の行動について、寺田ととも…
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1964年の東京五輪4 依田郁子選手の80メートルハードル走・ヘイズ選手の100メートル走優勝・棒高跳びの9時間の…

 前回の東京五輪の頃は、アマチュア選手の大会でしたが、いつしかプロの選手も参加するようになり、日程も放映権を持つアメリカのテレビ局などの意向で、今の時期に設定されてしまい、今回の大会は酷暑の中でやらざるをえなくなりました。商業主義に毒され、「五輪貴族」という言葉も生まれ、彼らの横暴ぶりが目に余ります。  私は医療逼迫を招き命の危険も伴…
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石田三成の実像3094 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」106 外岡慎一郎氏「大谷吉継の戦い」11 敦賀城の…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、外岡慎一郎氏の「大谷吉継の戦い」の中で、吉継の家臣で、関ヶ原の戦いには参加しなかった者について、次のように記されています。  「軍記類には、木ノ芽峠の守備にあてられていた岩根伝五郎、近江国境に向かう『七里半(街道)』の備えとして疋田、日置の名がみえる。『目録』に名があるのは岩根の…
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中国ドラマ探訪4「君、花海棠の紅にあらず」豪商と京劇役者との友情 旅行記259 1983年の中国研修旅行12 洛陽…

 中国ドラマ「君、花海棠の紅にあらず」を見ましたが、豪商の程鳳台(チョン・フォンタイさん)が京劇役者の商細蕊(シャン・シールイさん)を支えてゆく物語で、さまざまな試練を受けながらも揺るがない二人の友情の物語に胸が打たれました。時は1930年代、舞台は北平(北京)。頑固で生一本の商細蕊の演技は超一流で、京劇に新しいものを取り入れますが、伝…
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石田三成の実像3093 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」105 外岡慎一郎氏「大谷吉継の戦い」10 家臣の…

白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、外岡慎一郎氏の「大谷吉継の戦い」の中で、吉継の家臣だった寺田久左衛門について、次のように記されています。  「敦賀支配にかかる行政文書にその名がみえ、『目録』では三百余石の領知である。寺田の妻は、長岡(細川)忠興の正室(秀林院、ガラシャ)に仕えた女房『おく』である。会津出陣中…
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1964年の東京五輪3 金メダル第1号は重量挙げの三宅選手・レスリングで金メダルを獲得した渡辺選手・体操と同様5個…

  前回の東京五輪の際に発行された絵葉書第三集です。最初は開会式の前に発行され、開会式が始まり、競技が進んでいくたびに発行され、計五回出されました。第三集の表紙は武道館で、東京オリンピックで新しい競技として取り入れられた柔道を行うために作られました。もっとも、この時は柔道は男子だけで、女子柔道がオリンピックの公開競技になったのは、198…
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石田三成の実像3092 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」104 外岡慎一郎氏「大谷吉継の戦い」9 吉継を介錯…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、外岡慎一郎氏の「大谷吉継の戦い」の中で、関ヶ原での戦いで吉継を介錯しその首を隠したとされる、家臣の湯浅五助について、次のように記されています。  「五助は軍記類にしか現れない人物で、吉継及びその周辺で授受された文書類に五助の名を見いだすことはできない。奥羽仕置の後、吉継は越前国内…
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旅行記258 1983年の中国研修旅行11 夜中に洛陽着・翌日に龍門石窟、白居易の墓、洛陽博物館、白馬寺、光武帝の…

中国旅行8日目、西安から洛陽まで列車で移動し、駅に着いたのは夜11時半近く、ホテルに入ったのは12時前でした。列車で8時間程かかり、夕食は食堂車の中で取りました。夜中に着いたのもハードでしたが、次の日は一日かけて洛陽を見学し、夜は演劇を見て、その後再び列車に乗り、その夜は車中泊でしたから、ハードなスケジュールはなおも続きました。   …
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石田三成の実像3091 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」103 外岡慎一郎氏「大谷吉継の戦い」8 吉継や家臣…

  白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、外岡慎一郎氏の「大谷吉継の戦い」の中で、関ヶ原での戦いでの吉継及び家臣たちの最期について、次のように記されています。  「関ヶ原合戦に取材した軍記類の多くが吉継最期の場面を感動的に描き、あわせて合戦で討死した大谷吉継の家臣たちの交名(名簿)を掲げ、その誉れを称えている。軍記に…
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コロナ禍の中、長すぎた今回の開会式 1964年の東京五輪2 日本選手団の行進、選手宣誓、聖火台への点火、クーベルタ…

 写真は当時の東京五輪の絵葉書第2集です。表紙が代々木選手村、絵葉書は開会式の日本選手団の行進(しんがりで94番目でした)、選手宣誓、聖火台への点火、電光掲示板に映しだされたクーベルタン男爵の言葉です。  今回の、コロナ禍の中での四時間近くのオリンピックの開会式は長すぎたという印象を持ちます。パフォーマンスはもっと短くすべきでしたし…
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石田三成の実像3090 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」102 外岡慎一郎氏「大谷吉継の戦い」7 藤堂隊など…

白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、外岡慎一郎氏の「大谷吉継の戦い」の中で、吉継の関ヶ原での戦いについて、従来からの通説とは違って、次のように記されています。  「大谷軍の主力は野戦に臨んだのである。また、小早川秀秋も反転の意思を明らかにして松尾山から攻め下ったのではなく、すでに大谷軍が野戦に臨む態勢を整えた…
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