大阪府立茨田高校の元同僚との京都散策1 正面通から耳塚、豊国神社へ かつて秀吉が建てた方広寺大仏殿があった場所

 9月30日、大阪府立茨田高校の元同僚3人と京阪七条駅で待ち合わせして、一緒に耳塚、豊国神社、方広寺、大仏殿跡緑地公園、六波羅蜜寺などを回ってきました。コロナ禍でなかなか会えず、ほぼ2年ぶりの再会でした。案内役は私が務めました。
 DSCN1352.JPGDSCN1354.JPGDSCN1353.JPGまず正面通から東に真正面に見える豊国神社まで歩きましたが、その手前の右側(南側)に耳塚があります。耳塚は秀吉の朝鮮出兵の際、朝鮮・明の人々の鼻や耳を削ぎ取って日本に送られてきたものを葬ったとされる塚です。当初は「鼻塚」と呼ばれていましたが、江戸時代に「耳塚」という呼び名に変わりました。実際、慶長の役の際、軍奉行が発行した鼻の受取状が残っていますし、韓国の人々が先祖の供養をするため耳塚に参っています。
 DSCN1357.JPGDSCN1356.JPG 現在、豊国神社があるところに、秀吉は方広寺大仏殿を建て、大仏を造りました。奈良の東大寺の大仏殿、大仏よりも巨大なものでした。大仏殿と大仏は4度も崩壊したり炎上したりして、結局最後は寛政10年(1798)に落雷により焼失しました。豊国神社がこの場所に作られたのは明治になってからです。秀吉の死後、豊国社が作られましたが、江戸時代に家康によって破却されました。豊国社があった場所は、今よりずっと東側の秀吉が葬られた阿弥陀ヶ峰の麓にありました。豊国神社の唐門は、伏見城の遺稿と伝えられています。
 

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント