石田三成の実像3134 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」142 中西豪氏「鍋島直茂の戦い」14 江上八院の戦いの実態、その意義

白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、中西豪氏の「鍋島直茂の戦い」の中で、鍋島・龍造寺家が立花宗茂を攻めた江上八院の戦いについても概略が述べられていますが、この戦いについては、白峰氏・中西氏共著の「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の中で、詳述され考察を加えられており、拙ブログでも以前取り上げましたから、詳しいことには改めて触れません。
 ポイントだけ押さえますと、龍造寺軍・鍋島軍で「動員された軍勢は約3万」であるものの、「江上八院の戦いで立花宗茂と干戈を交えた龍造寺軍は、先陣の前衛(鍋島茂忠)、二陣(後藤茂綱)、三陣(龍造寺信昭)の約4000だけ」だったこと。それに対して、「立花軍は約1000であったろう」こと。「立花軍が善戦したのは間違いない」し、「九つの『備』を連破したことも事実だろう」が、「龍造寺軍の回復は早く、かえって立花軍は龍造寺軍先手本陣(鍋島茂里の本陣)前まで誘引され、これに突入する前に二陣の後藤勢から鉄砲300挺による猛烈な『横矢』を掛けられて大損害を被った」こと。
 龍造寺軍が徹底した追撃戦を行わなかったことについて、中西氏の同書で次のような見解を示されています。
 「鍋島家を戦争の主役とすると同時に立花家との戦争を限定的なものに止め」、来たるべき島津攻めのために「立花宗茂を降伏させて、それに参加させることで家康への敵対の罪を償わせるべき」だと考えていたからだと。
 江上八院の戦いの意図については、「短時日のうちに家康に対して面目を施せるほどの戦果を挙げるべし」ということであったと指摘されています。その結果、「挙げられた立花軍の首級は六百余り、これは塩漬けにして家康に送られた。自軍の損害もまた少なくなく二百余りに達した」と。限定的な戦いながら、双方の被害は大きなものがありました。
 「この『犠牲』の上に龍造寺領国の保全は成り、直茂・勝茂父子に対する家康の信任もいや増し、龍造寺宗家断絶後の勝茂による家督相続、鍋島家佐賀藩の成立に至るのである」と結論づけられています。
 鍋島家は関ヶ原の戦いの際に家康と敵対したものの、江上八院の戦いの成果によって、家康にその罪を帳消しにされ、佐賀藩の存続につながりました。さらに家康は立花家を屈服させ、島津氏包囲網を作り、島津氏を追い込んで和平を整え、結果的に島津家との戦いをせずに済んだわけですから、家康の思惑通りに事は進みました。家康は一刻も早く、全国の大名を屈服させ、戦いを終結させることが目的だったわけで、家康の徳川幕府開設、将軍職就任につながりました。豊臣家とは別個の公儀体制を作り上げたわけですが、三成らが徳川幕府開設までは見越していたとは云えないものの、豊臣公儀が家康によってないがしろにされ、家康が天下人になることを危惧していたのでしょうから、それが現実のものになった形です。

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