旅行記276 石田三成の実像3145 7ヶ月ぶりの旅行 佐和山・関ヶ原・大垣9 関ヶ原の戦いの前日まで家康方軍勢が陣を置いていた岡山(勝山)・安楽寺

DSCN1661.JPGDSCN1662.JPGDSCN1663.JPGDSCN1668.JPGDSCN1667.JPG お茶屋屋敷を見学した後、南に歩き、岡山(後に勝山と命名)にある安楽寺まで行きました。岡山は、関ヶ原の戦いの前日まで家康方軍勢が陣を置いていたところです。今回は山頂までは登りませんでしたが、墓地のところを登っていけば、山頂にある岡山本陣跡碑まで行き着けます。岡山のふもとに、関ヶ原合戦慰霊碑が建っています。このあたりも以前、三成会の人々と訪ねたことがあります。
 なお、安楽寺の鐘は、大谷吉継が戦いの際に使っていた陣鐘で、戦利品として手に入れた家康が寺に寄進したものです。この陣鐘については2008年11月22日付の拙ブログでも紹介しています。
 慶長5年8月、家康方軍勢は岐阜城を落とし、岡山まで軍を進め、大垣城にいる三成ら豊臣公儀方と対峙します。関ヶ原の戦いの前日に、家康が岡山に着陣しますが、その夜、三成らは大垣を出て関ヶ原方面に移動します。家康方もその後を追って関ヶ原方面での決戦となりますが、三成らが大垣城を出た理由については、以前は家康に関ヶ原におびき出されたというのが通説でしたが、最近は三成方が主体的に動いたという説が有力になっています。動きの怪しい小早川が松尾山に入ったため、その動きを牽制するために移動したという説を中井俊一郎氏や高橋陽介氏が唱えられています。大垣城が小城であり、大軍を収容するのに無理があり、関ヶ原方面に移動することによって、南宮山の毛利勢と共に家康を挟撃する作戦だったという白峰旬氏の説にも納得できるものがあり、玉城のような堅固な城をあらかじめ準備していたという千田嘉博氏の見解が正しければ、その方面に移動して家康を迎え撃とうとしていたこともありうる気がします。この戦いについてはまだまだ研究の余地があるというより、本格的な研究の端緒についたばかりという気さえします。
 

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