旅行記270 石田三成の実像3133 7ヶ月ぶりの旅行 佐和山・関ヶ原・大垣4 三成らが関ヶ原の戦いの本陣として考えていたと千田嘉博氏が主張する玉城跡を探訪

1泊した彦根を後にして、9日は電車で関ヶ原駅に移動し、まず関ヶ原の西にある玉城跡へ登りました。玉城は、千田嘉博氏が関ヶ原の戦いの時に三成ら豊臣公儀側が本陣として考えていた城であったという新見解を示され、NHKの歴史番組でも紹介されました。千田氏は秀頼や毛利輝元をこの巨大城郭に迎え入れる予定だったとされていますが、実際には、秀頼も毛利輝元も関ヶ原方面には来ませんでした。
 最近、関ヶ原の戦いは主戦場は関ヶ原ではなく、もっと西の山中エリアだったという見解を白峰旬氏や高橋陽介氏らが主張されていますが、千田氏の玉城も大きく言えば、山中エリアに入ります。ひょっとして関ヶ原の戦いは玉城を中心にして行われた可能性もあります。私は関ヶ原駅から旧中山道沿いにひたすら西に歩き、拙ブログでも以前に紹介した、三成が陣を置いたと高橋陽介氏が主張されている自害峰のそばを通り、通説では大谷吉継陣跡とされる場所をさらに越えて、黒血川沿いの東海自然歩道を北に進みました。関ヶ原方面は何回も行っていますが、このあたりを歩くのは初めてですし、他にこの道を歩いている人はいませんでした。「クマ出没注意」の看板がところどころに建っていました。
DSCN1525.JPG 途中から玉城(城山)へ続く道に入りましたが、これがなかなか急で、三百数十段のくねくねした階段を上らねばなりませんでした。これが大手道だと思われます。DSCN1563.JPGDSCN1536.JPGDSCN1544.JPG 駅から山頂まで1時間半かかりました。山頂は300メートル余りあります。千田氏は赤色立体図から玉城跡が巨大城郭であったことを確認され、本丸や陣小屋があったと推定されています。肉眼では本丸や陣小屋の跡は確認できなかったのですが、山頂はかなり広く、二段になっているところもあり、奥の西側の方にはもう一段低いところや土塁も確認できました。山頂へは急斜面になっており、確かにそこから攻めるのは難しく、堅牢な城だったと思われます。
 

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