石田三成の実像3146 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」148 渡邊大門氏「小早川秀秋、黒田長政、福島正則の…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、渡邊大門氏の「小早川秀秋、黒田長政、福島正則の戦い」の中で、黒田長政が関ヶ原の戦いの布陣した場所については、通説に基づいて次のように記されています。  「関ヶ原合戦当日の9月15日、長政は約4500の兵を率い、竹中重門とともに丸山狼煙場に着陣した。この場所は、西南に松尾山、東に…
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旅行記276 石田三成の実像3145 7ヶ月ぶりの旅行 佐和山・関ヶ原・大垣9 関ヶ原の戦いの前日まで家康方軍勢が…

 お茶屋屋敷を見学した後、南に歩き、岡山(後に勝山と命名)にある安楽寺まで行きました。岡山は、関ヶ原の戦いの前日まで家康方軍勢が陣を置いていたところです。今回は山頂までは登りませんでしたが、墓地のところを登っていけば、山頂にある岡山本陣跡碑まで行き着けます。岡山のふもとに、関ヶ原合戦慰霊碑が建っています。このあたりも以前、三成会の人々と…
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石田三成の実像3144 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」147 渡邊大門氏「小早川秀秋、黒田長政、福島正則の…

白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、渡邊大門氏の「小早川秀秋、黒田長政、福島正則の戦い」の中で、黒田長政が家督を譲られた前後から関ヶ原の戦い直前までの動向について次のように記されています。  「天正15年、父の孝高が九州征伐の軍功を認められ、豊前中津(大分県中津市)に約12万石を与えられた。その2年後、長政は孝高か…
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旅行記275 石田三成の実像3143 7ヶ月ぶりの旅行 佐和山・関ヶ原・大垣8 美濃赤坂へ・家康が築いた将軍宿泊用…

 大垣に泊まった夜にオンライン三成会のリモート会があり、ホテルの部屋から参加しました。玉城跡の報告もしましたが、三成らがその城に入ったのかどうか、実際に関ヶ原の戦いがどこで行われたのか、さまざまな意見が出ました。今の通説を見直さねばならないという点では一致していたように思いますが。個人的には、三成らが玉城付近で戦った可能性は高いと思って…
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石田三成の実像3142 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」146 渡邊大門氏「小早川秀秋、黒田長政、福島正則の…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、渡邊大門氏の「小早川秀秋、黒田長政、福島正則の戦い」の中で、小早川秀秋が関ヶ原合戦の際に裏切ったのは、「黒田長政による粘り強い交渉の結果であ」ると指摘されており、それを示すものとして「黒田家譜」の黒田長政の遺言覚の記述が挙げられています。  すなわち、「関ヶ原合戦の日には粉骨を尽…
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旅行記274 石田三成の実像3141 7ヶ月ぶりの旅行 佐和山・関ヶ原・大垣7 新しく生まれ変わった関ヶ原古戦場記…

 関ヶ原駅に戻る途中、以前は関ヶ原町歴史民俗資料館があった場所に、もっと大きな規模の関ヶ原古戦場記念館が建っていました。その日(9日)はコロナ禍の影響で予約制になっていましたが、館内がどう変わっているのかまた訪ねたいと思っています。オンライン三成会編「三成伝説」(サンライズ出版)の本には、関ヶ原古戦場史跡(通説に基づくものですが)めぐり…
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石田三成の実像3140 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」145 渡邊大門氏「小早川秀秋、黒田長政、福島正則の…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、渡邊大門氏の「小早川秀秋、黒田長政、福島正則の戦い」の中で、小早川秀秋は関ヶ原合戦の際、最初から家康寄りであったという「寛政重修諸家譜」(稲葉正成系譜)の内容が紹介されていますが、伏見城攻め前後のことは次のように記されています。  「秀秋は、家康から伏見城(京都市伏見区)の守備を…
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旅行記273 石田三成の実像3139 7ヶ月ぶりの旅行 佐和山・関ヶ原・大垣6 関ヶ原北小学校跡地に笹尾山交流館・…

   2000年の関ヶ原合戦400年祭の時に合戦の場面が再現されていたのは笹尾山の隣の関ヶ原北小学校のグラウンドにおいてであり、私は笹尾山の馬防柵のところからずっと見ていました。しかし、今は北小学校は南小学校と統合され、閉校となり、今は校舎の一部は笹尾山交流館になっており、グラウンドは広場になっています。笹尾山の三成陣跡の麓におかれて…
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石田三成の実像3138 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」144 渡邊大門氏「小早川秀秋、黒田長政、福島正則の…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、渡邊大門氏の「小早川秀秋、黒田長政、福島正則の戦い」の中で、小早川秀秋は関ヶ原合戦「当日に裏切ったというよりも、前日に家康と起請文を交わしていたというのが正しい」と指摘されています。  その根拠として挙げられているのは、「関原軍記大成」に掲載されている9月14日付の、小早川秀秋の…
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旅行記272 石田三成の実像3137 7ヶ月ぶりの旅行 佐和山・関ヶ原・大垣5  通説では三成が陣を置いたとされる…

 9日の午後、玉城跡から、通説では関ヶ原の戦いで石田三成が陣を置いていたとされる笹尾山まで歩いて30分以上かかりました。2000年に関ヶ原合戦400年祭が行われた時、笹尾山のそばの関ヶ原北小学校のグラウンドで合戦の様子が再現されましたが、私は初めてその時に関ヶ原を訪ねました。笹尾山には馬防柵が造られ、旗印がなびいていますが、こういう光景…
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石田三成の実像3136 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」143 渡邊大門氏「小早川秀秋、黒田長政、福島正則の…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、渡邊大門氏の「小早川秀秋、黒田長政、福島正則の戦い」の中で、三人をまとめて取り上げたことについて、「三人が東軍の勝利に貢献した」点が挙げられ、「三人の関ヶ原本戦における戦いぶりを取り上げ」ておられますが、「注意すべきこととして、一次史料に戦いぶりが詳述されていることはなく、多くは二…
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旅行記271 石田三成の実像3135 7ヶ月ぶりの旅行 佐和山・関ヶ原・大垣4 玉城跡を探訪2 「歴史道」の千田嘉…

「歴史道 関ヶ原合戦」(朝日新聞出版)の中に、千田嘉博氏のインタビュー記事「新発見!巨大城郭『玉城』から読み直す関ヶ原の戦い」が掲載されています。NHKの番組で紹介されたことと重なりますが、千田氏によれば、巨大な「玉城」に三成らは豊臣秀頼や毛利輝元を迎え入れるつもりで、あらかじめ構築したものだと推定されています。関ヶ原方面への大手道や連…
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石田三成の実像3134 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」142 中西豪氏「鍋島直茂の戦い」14 江上八院の戦…

白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、中西豪氏の「鍋島直茂の戦い」の中で、鍋島・龍造寺家が立花宗茂を攻めた江上八院の戦いについても概略が述べられていますが、この戦いについては、白峰氏・中西氏共著の「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の中で、詳述され考察を加えられており、拙ブログでも以前取り上げましたから、…
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旅行記270 石田三成の実像3133 7ヶ月ぶりの旅行 佐和山・関ヶ原・大垣4 三成らが関ヶ原の戦いの本陣として考…

1泊した彦根を後にして、9日は電車で関ヶ原駅に移動し、まず関ヶ原の西にある玉城跡へ登りました。玉城は、千田嘉博氏が関ヶ原の戦いの時に三成ら豊臣公儀側が本陣として考えていた城であったという新見解を示され、NHKの歴史番組でも紹介されました。千田氏は秀頼や毛利輝元をこの巨大城郭に迎え入れる予定だったとされていますが、実際には、秀頼も毛利輝元…
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石田三成の実像3132 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」141 中西豪氏「鍋島直茂の戦い」13 柳川攻めの意…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、中西豪氏の「鍋島直茂の戦い」の中で、関ヶ原の戦いの後に、家康の命令のもと、鍋島・龍造寺家が立花宗茂を攻めた江上八院の戦いについても記されていますが、この戦いについての詳しい分析は、白峰氏・中西氏共著の「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の中で、詳述され考察を加えられてお…
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旅行記269 石田三成の実像3131 7ヶ月ぶりの旅行 佐和山・関ヶ原・大垣3 佐和山城跡2 千貫井戸・女郎谷・太…

佐和山城の井戸跡である千貫井戸にも足を運びましたが、落葉が重なっているだけで水はほとんどないように見えました。しかし、枯れることのない井戸だと言われているので、落葉の下の方には水がたまっているのかもしれません。佐和山にこのような水があるのは、貴重で、千貫にも代えがたいというので、そう呼ばれるようになったということが、江戸時代の享保12年…
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石田三成の実像3130 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」140 中西豪氏「鍋島直茂の戦い」12 関ヶ原の戦い…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、中西豪氏の「鍋島直茂の戦い」の中で、関ヶ原の戦いの際における直茂・勝茂の姿勢について、次のようにまとめられています。  「直茂も終始一貫西軍方の立場を標榜していたわけで、直茂・勝茂父子が東軍・西軍双方に便宜的に分かれて龍造寺家の安泰を図ろうとしたという事実はなかったことになる。た…
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旅行記268 石田三成の実像3129 7ヶ月ぶりの旅行 佐和山・関ヶ原・大垣2 佐和山城跡 山頂に立ち敗者の悲哀を…

 8日、大洞弁財天の奥の院から東山ハイキングコースを通って、佐和山城跡まで歩きましたが、かもう坂通り往還と佐和山山頂への分岐点まで30分近くかかりました。以前歩いた時より、長く感じましたが、山登り自体、2年ぶりだったので、体力が落ちているのかもしれません。   西の丸跡を通り、山頂まで登りました。それまで人の姿はほとんど見かけませんで…
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石田三成の実像3128 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」139 中西豪氏「鍋島直茂の戦い」11 日隈城の留守…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、中西豪氏の「鍋島直茂の戦い」の中で、関ヶ原の戦い後の国許にいる直茂について、 「西軍方としての立場を取り続けた」ものの、「毛利高政の留守城の豊後日隈城から黒田如水の脅威に対抗するための加勢を求められた際には、加勢は出すべきとしながら、」「実際に軍事行動を起こすことに対しては慎重な態…
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旅行記267 石田三成の実像3127 7ヶ月ぶりの旅行 佐和山・関ヶ原・大垣1 大洞弁財天から佐和山城跡へ

7ヶ月ぶりの旅行で、彦根・関ヶ原・大垣方面に2泊3日で行って来てした。本来なら8日の夜に彦根市内で石田三成に関する中野等氏の講演会がある予定だったのですが、コロナの影響で、12月に延期されました。しかし、ホテルはすでにカード払いしていますし、ポイントも使っており、緊急事態宣言も解除されたので、ホテルはキャンセルせずに、行きたいと思ってい…
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石田三成の実像3126 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」138 中西豪氏「鍋島直茂の戦い」10 関ヶ原の戦い…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、中西豪氏の「鍋島直茂の戦い」の中で、関ヶ原の戦い後の国許の直茂について、次のように記されています。  「関ヶ原本戦での東軍大勝利の報が届いて以降も、勝茂の西軍加担の罪で龍造寺家が公儀の征伐を受けるか赦免されるか、それが確定するまでは直茂は在国する西軍方諸大名や留守居の家臣と連携し…
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大阪府立茨田高校の元同僚との京都散策4 茨田高校の閉校を知った衝撃と寂しさ・かつての五条通は今の松原通・五条大橋で…

 2年ぶりに大阪府立茨田高校の元同僚と会って、茨田高校が令和7年に閉校になるという話を初めて聞きました。宇治に住んでいると、大阪の学校の情報はあまり入ってこないので、全く知りませんでした。今回会ったメンバーは、開校した初年度か2年目に赴任した者ばかりで、しかもみんな新卒でしたから、それぞれ特別な思いがありますし、私もそれを聞いた時にはシ…
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石田三成の実像3125 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」137 中西豪氏「鍋島直茂の戦い」9 直茂の苦悩2 …

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、中西豪氏の「鍋島直茂の戦い」の中で、関ヶ原の戦い前の国許にいる直茂の苦悩について、次のように記されています。  直茂は「9月10日付の書状で、家康与党として挙兵することを伝えてきたとおぼしい黒田如水に対して、今後は書状を出さない、すなわち断交を宣言したのである。ただし追而書に、言…
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大阪府立茨田高校の元同僚との京都散策3 六波羅蜜寺・宝物館の空也上人像、平清正像、運慶像、湛慶像、井伊直政像

 茨田高校の元同僚たちと六波羅蜜寺まで足を延ばしましたが、夕食まで時間があったことと、有名な空也上人像を見たかったのと、元同僚のAさんが六波羅蜜寺の隣の六原小学校の出身で、六波羅蜜寺の境内を小さい頃遊び場にしていた懐かしい場所であったことなどもあって、拝観しに行きました。Aさんは境内や周囲の様子は当時とは随分違っていると言います。六…
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石田三成の実像3124 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」136 中西豪氏「鍋島直茂の戦い」8 国許にいる直茂…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、中西豪氏の「鍋島直茂の戦い」の中で、関ヶ原の戦い前の国許にいる直茂の苦悩について、次のように記されています。  「勝茂からは(おそらくは西軍方の軍役規定に不足分の)人数・弓・鉄砲を上方に送るようにとの催促が来る。また、奉行衆や安国寺恵瓊 からは直茂自身が軍勢を率いて上坂するよう…
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大阪府立茨田高校の元同僚との京都散策2 狭くなった方広寺・大仏と大仏殿の悲哀の歴史・遺構が発見された大仏殿跡緑地公園

 豊国神社からそのすぐ北隣の方広寺を訪ね、大坂の陣のきっかけとなった、梵鐘の銘文の「国家安康」「君臣豊楽」の部分(そこだけ白色で四角く字が囲まれています)を見ました。本堂は公開されていませんでしたが、当時の大仏の10分の1のレプリカが安置されています。今の方広寺の境内は狭くなっていますが、かつては今の豊国神社から京都国立博物館、さらには…
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石田三成の実像3123 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」135 中西豪氏「鍋島直茂の戦い」7 敗戦後の勝茂は…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、中西豪氏の「鍋島直茂の戦い」の中で、関ヶ原の戦いの敗戦を知った勝茂の動きについて、次のように記されています。  「勝茂は、澎湃として起こる落ち武者狩りに悩まされながら大坂に引き揚げた。壮絶な敵中突破の末に和泉堺にたどり着き、海路帰国しようとした島津義弘は勝茂に使者を遣わして同行を…
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大阪府立茨田高校の元同僚との京都散策1 正面通から耳塚、豊国神社へ かつて秀吉が建てた方広寺大仏殿があった場所

 9月30日、大阪府立茨田高校の元同僚3人と京阪七条駅で待ち合わせして、一緒に耳塚、豊国神社、方広寺、大仏殿跡緑地公園、六波羅蜜寺などを回ってきました。コロナ禍でなかなか会えず、ほぼ2年ぶりの再会でした。案内役は私が務めました。  まず正面通から東に真正面に見える豊国神社まで歩きましたが、その手前の右側(南側)に耳塚があります。耳塚は…
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石田三成の実像3122 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」134 中西豪氏「鍋島直茂の戦い」6 美濃方面に転進…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、中西豪氏の「鍋島直茂の戦い」の中で、関ヶ原大乱の際、豊臣公儀方に付いた勝茂・龍造寺軍の伊勢方面の動きについて、次のように記されています。  「龍造寺軍は毛利秀元、吉川広家らとともに伊勢方面を経略、阿濃津城・松阪城を攻略した。これにて伊勢方面はほぼ平定されたのだが、東軍が予想外の積…
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旅行記266 初めての海外への家族旅行(1996年) マカオ・香港2 2日目の午前中にマカオ観光・中国返還前のマカ…

  マカオ・香港旅行2日目は、泊まったマカオのホテルでバイキングの朝食を取った後、午前中マカオを回りました。まず中国との国境にある門の前へ行きました。当時、マカオはポルトガル領でした。こちら側のポールには、ポルトガルの国旗が、向こう側のポールには中国の国旗がはためいていました。  モンテの砦(17世紀イエズス会によって作られた要塞)、…
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石田三成の実像3121 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」133 中西豪氏「鍋島直茂の戦い」5 勝茂・龍造寺軍…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、中西豪氏の「鍋島直茂の戦い」の中で、関ヶ原大乱の際、豊臣公儀方に付いた勝茂・龍造寺軍の動きについて、次のように記されています。  「龍造寺軍の兵力は約7000。西軍では100石3人役を課したようで、当時の龍造寺家の石高30万9900石にしてはやや少なく、事実、勝茂は2000の増派…
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