石田三成の実像3161  白峰旬氏の「『小山評定』論争の最前線ー家康宇都宮在陣説を中心にー」3「7月29日付大関資増宛浅野幸長書状」の内容解釈3 家康が宇都宮で上杉討伐の延期を決定

 白峰旬氏の「『小山評定』論争の最前線ー家康宇都宮在陣説を中心にー」(『史学論叢』第51号所載)で、まず「7月29日付大関資増宛浅野幸長書状」が取り上げられ、その内容解釈を、拙ブログで紹介していますが、その続きです。
 「我等儀、此間宇都宮二在之候へ共」という部分について、「『我等』とは『私』=浅野幸長であるので、浅野幸長は『此間』(=このあいだ)宇都宮にいたとしている」、「『此間』とは漠然とした期間を指しているのではなく、下線a、bの出来事がおこなわれた間という意味を示している」ので、「上杉討伐の延期は家康が宇都宮で決定した、ということになる」と説明されています。
 「下線a、bの出来事」とは、この書状のそれまでの部分の内容を指しており、白峰氏によれば、「石田三成と毛利輝元が申し合わせて反徳川家康の決起をしたことについて諸将が相談した結果、家康がそのことを考慮して、上方への対応のため、上杉討伐を家康が延期した。豊臣公儀と対決姿勢をとるのかどうかという基本方針については、今後、諸将に対して家康が仰せ出される予定である旨を家康が仰せられた」という内容になります。この出来事を「『評定』、『軍議』ととらえるべきか、(中略)『家康の決定』ととらえるべきか、評価は難しいが、『評定』、『軍議』とした場合、『各』(=諸将)が申し談じた具体的な内容が不明確なので、本稿では『(宇都宮における)家康の決定』としておきたい」と解釈されています。
 「小山評定」肯定派の研究者は、これは「評定」だと反論されるかもしれず、どう反論を展開されるか俟ちたいと思います。
 白峰氏は「浅野幸長書状は、家康宇都宮在陣説を明確に示す一次史料ということになる」と指摘され、家康が宇都宮に在陣したことを示す一次史料はないとする藤井讓治氏・水野伍貴氏の見解に反論されています。
こうして見てくると、「小山評定」肯定派、否定派、それぞれが同じ史料をその根拠に挙げられているわけですが、こういうことはよくあります。これも、その史料をどう解釈するかによって結論が変わってくる好例だと言えます。
 白峰氏によれば、宇都宮に家康が在陣していただけでなく、宇都宮で家康が上杉攻めの延期を決定したということになり、今までの通説を根本から覆す見解ですし、今までの「小山評定」論争にさらに新たな論点を示されたように思います。これからの論争の行方を注意深く見守りたいと思います。
 従来からの通説では、「小山会議」で福島正則が一番に「三成討つべし」と言ったとされていますが、江戸時代の後期に編纂された「徳川実記」に出てくる話であり、信憑性の低いものです。正則がその場にいたかどうかも含めて、根本的な見直しが必要ですし、実際、正則の居所についても、研究者の間で大きな論点になっていますが、この点については改めて触れたいと思います。

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