「歴史秘話ヒストリア」 比叡山焼き討ちは一部だったという発掘調査結果・実際は坂本の町が焼き討ちされたという見解
NHKの番組「歴史秘話ヒストリア」の中で、信長が行った比叡山焼き討ちについて、発掘調査によって、比叡山で焼けたのは根本中堂や大講堂などの限られたところであり、大部分の場所は火事の痕跡がなかったことが明らかになったと説明されていました。焼き討ちを行って根絶やしにしたのは、比叡山の拠点であるふもとの坂本だったという新説についても紹介されていました。これによって比叡山の莫大な富を根本から絶つのが、信長の目的だったと。その坂本の地を与えられたのが明智光秀であり、光秀はまず城を築き、その後、焼き討ちされた寺を復興させ、人々を呼び戻しため、比叡山全体の復興につながったとも述べられていました。信長は比叡山の復興を望みませんでしたから、光秀のしたことは信長の意に反したことになります。
「信長公記」には、比叡山山頂の諸堂や麓の坂本の日吉大社などをすべて焼き払い、僧侶や人々を殺したと記されていますが、比叡山焼き討ちの実態はどうなったのか、改めて検証する必要性を感じます。

写真は三年前に、比叡山に一泊した時に撮った延暦寺の根本中堂と大講堂です。根本中堂は修復工事中でしたが、参拝はできました。このあたりだけが信長によって焼き討ちにあったわけです。

写真は坂本の日吉大社ですが、比叡山から坂本へケーブルで降りてきました。ふもとの日吉大社は信長によって焼き討ちにあいました。

坂本の町は穴太衆の築いた石垣が多く見られ、独特の趣きがありました。
「信長公記」には、比叡山山頂の諸堂や麓の坂本の日吉大社などをすべて焼き払い、僧侶や人々を殺したと記されていますが、比叡山焼き討ちの実態はどうなったのか、改めて検証する必要性を感じます。
写真は坂本の日吉大社ですが、比叡山から坂本へケーブルで降りてきました。ふもとの日吉大社は信長によって焼き討ちにあいました。
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