奈良探訪 奈良時代の元興寺は今の十倍以上の規模・伽藍は一直線に配置・境内の「浮図田」

奈良町にある元興寺を、昼食後訪ねました。拝観するのは二十数年ぶりのことで、世界遺産になってから初めてのことです。元興寺の前身は、飛鳥にあった法興寺(飛鳥寺)で、平城京遷都の時に、この地に移ってきて、名前も元興寺となりました。もっとも、当時の寺の敷地は、今の十倍以上ありましたが、現在、大半がほとんど奈良町の町並みに変わっています。
 DSCN9830.JPGDSCN9831.JPGDSCN9839.JPGDSCN9838.JPGDSCN9856.JPG 今の元興寺の境内にある極楽堂とその奥(西側)の禅室などが、世界遺産に登録されています。両方とも鎌倉時代に改修、改築されたものですが、屋根瓦の一部に、飛鳥時代や奈良時代のものが使われています。境内で目を引くのは、石塔や石仏がずらりと並んでいる光景です。たんぼの稲のように並べたということで、「浮図田(ふとでん)」と名付けられています。寺内や周辺地域から集められたものです。
 奈良時代の元興寺は、南から南大門・中門・金堂・講堂と一直線に並んでいて、金堂の廻りを回廊が四角く取り囲んでいました(中門と講堂を通って)。寺の境内の南東部分に五重塔が、南西部分には西小塔院が建っていました。当時の五重塔は残っていませんが、奈良時代に造られた小型の五重小塔が、法輪観(収蔵庫)の中に展示されており、往時の姿をしのぶことができます。講堂の北側には、僧坊や各院が建ち並んでおり、その僧坊の一部が、現在の狭くなった元興寺の境内になっているわけです。
 寺の伽藍配置は時代によって変わってきますが、私の生まれ育った長屋近くの、聖徳太子が建てた四天王寺は、南大門、中門、塔、金堂、講堂が一直線に並んでいます。
 元興寺の前身の法興寺(飛鳥寺)は蘇我氏の氏寺でしたが、蘇我氏の滅亡後、官寺になり、元興寺も官寺として引き継がれました。













































































"奈良探訪 奈良時代の元興寺は今の十倍以上の規模・伽藍は一直線に配置・境内の「浮図田」" へのコメントを書く

お名前
メールアドレス
ホームページアドレス
コメント

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。