石田三成の実像2952 高橋陽介氏「本多隆成氏の『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』を拝読して」3 二つ目の論点・小山評定があったことを裏付ける史料に関する議論

 高橋陽介氏の「本多隆成氏の『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』を拝読して」(織豊期研究会発行「織豊期研究 第22号」に掲載)の中で、小山評定の有無をめぐっての本多氏と白峰旬氏との議論について、主要な論点は二つにしぼられていると記されています。
 一つ目の論点は、拙ブログで前述しましたが、もう一つの論点は、小山評定があったことを裏付ける史料に関する議論です。本多氏は7月29日付大関資増宛浅野幸長書状、宮部長煕書上であり、特に後者については「史料批判を通じて、一次史料に準ずる信ぴょう性の高い史料である」として、採用されました。
 7月29日付大関資増宛浅野幸長書状は一次史料ですが、書状の文言について、白峰氏と本多氏との間で解釈の相違が見られます。特に「上方之儀各被申談」の部分について、白峰氏は「各」を主語と捉え、「諸将」の意味だとされているのに対して、本多氏は「被」を家康に対する敬語とみて、家康が諸将に申し談ぜられたと解釈されており、水野伍貴氏もほぼ同様の解釈をされていると本多氏の同書に記されています。
 他の部分の解釈の違いもあるのですが、解釈としてはどちらも可能ではないかという気がします。
 宮部長煕書上については、白峰氏はこの中で、家康の宇都宮在陣問題に触れていないこと、編纂史料であることなどを理由に、史料の信憑性に疑義を呈されているのに対して、本多氏は家康が小山から宇都宮に移動したのは晦日のことで、宮部長煕はすでに田中吉政などと共に西上を開始しているので、宇都宮在陣問題に触れていないのは当然であること、この書上は身上回復を訴えることが目的であるので、虚偽のことは記さないことなどを根拠に、信憑性が高い史料だと論じられています。
 この書上の第2条で、「家康から諸大名に対して小山に集まるよう御触があり、長煕自身も宇都宮には祇候せず、途中から小山に帰った」と言っていることから、諸将が小山に招集されたことは裏付けられると本多氏は指摘されています。もっとも、本多氏も「御触そのものは残っていない」ということは認められていますから、小山評定があったという間接証拠にはなるとしても、直接証拠にはなっていない気がします。それが出ない限り、小山評定論争はまだまだ続くのではないでしょうか。もっとも、今の段階で、通説通り、小山評定はあったとする見解の方が優勢だという印象はありますが、白峰氏のさらなる反論に期待します。むろん、小山評定が「徳川実記」に描かれているような、福島正則がまず「三成討つべし」と名乗りを上げ、家康に味方することを表明すると、諸将が雪崩を打ったようにそれに賛同するというような劇的な展開があったかということに関しては、検討の余地があることを本多氏は認められています。
 

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