大阪探訪43 備前島があったあたりを散策2 宇喜多秀家の屋敷があったことにちなんでいると思われる備前島・旧藤田邸跡公園・藤田邸の変遷

大阪市都島区網島町あたりに、かつてあった備前島の名前の由来は、秀吉の時代に宇喜多秀家の屋敷があったことにちなんでいるものと思われます。宇喜多秀家は備前宰相と呼ばれていました。秀家は京都にも屋敷を持っていましたが、そのあたりは現在、備前町という名前になっています。
 DSCN9894.JPGDSCN9896.JPGDSCN9924.JPGDSCN9925.JPGDSCN9926.JPG 網島町にある旧藤田邸跡公園のあたりもかつては備前島の一部だったと考えられます。立派な表門、趣きのある広々とした日本庭園、高野山の光台院から移築された多宝塔などがあります。庭園で使われていた灯籠も一カ所に集められています。ゆっくりくろつぐにはうってつけの場所です。
 公園の東隣の藤田美術館と太閤園、公園の西隣の旧大阪市公館も、かつては藤田邸内でしたから、いかに広大な敷地だったかがわかります。藤田伝三郎が屋敷を作ったのは明治時代ですが、伝三郎の死後、本邸、東邸(現在の太閤園)、西邸に分割相続され、昭和18年に西邸は大阪市に渡りました。大阪大空襲で、旧藤田邸の大半が消失しましたが、表門、多宝塔などは奇跡的に残りました。

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