信長の妻は「帰蝶」ではなく「胡蝶」だったとする松浦由起氏の新説・桐野作人氏の否定的見解・総見院にある墓は帰蝶とは断定できず

 大河ドラマ「麒麟がくる」では、斎藤道三の娘で信長の妻となった女性の名は「帰蝶」になっていましたが、「胡蝶」ではないかとする松浦由起氏の新説が新聞で紹介されていました。その説によれば、「帰蝶」と記されているのは、江戸時代の地誌である「美濃国諸旧記」だけで、その原本はみつかっておらず、現存するのは1915年に出版された活字の翻刻本のみで、「胡蝶」のくずし字を読み違えたのではないかと主張されています。「武功夜話」には、「胡蝶」と記されているのがその根拠として挙げられています。その新説に対して、桐野作人氏は否定的見解を示されています。「胡」と「帰」の字はそれほど似ていず、また「武功夜話」は成立時期が江戸後期以降に下ると思われると。確かに、「武功夜話」だけで「胡蝶」とするのは根拠が薄い気がしますし、さらなる裏付けが必要だと思います。
 「麒麟がくる」では、後半のストーリー展開が急ぎ過ぎで、帰蝶の登場場面も極端に減ったのが残念な気がします。前半、光秀と帰蝶の関わりをしきりに描いていただけ(史実かどうかは別として)に、中途半端な印象を受けました。
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 写真は大徳寺総見院にある織田信長とその子や孫などの墓、及びそのそばにある帰蝶の墓を撮ったものです(総見院は秀吉が信長の菩提寺として建立したもので、信長の葬儀もここで行われました)。もっとも、寺の掲示板には帰蝶の墓と記されているものの、この墓が帰蝶のものだと断定されているわけではありません。

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