日本文学探訪14 高橋昭男氏「新書で読む 漱石と鴎外」
新潮選書にあるこの一冊を読みましたが、漱石と鴎外の入門書になっているものの、彼らについて知っているつもりの私でもいろいろ参考になることが書かれていました。
漱石について言えば、鏡子夫人が漱石と結婚して熊本に来て三年目に自殺未遂を起こした件に関して、筆者は熊本で孤独感を覚えていたからだと推測しています。鏡子夫人は悪妻のように言われますが、気難しい漱石を夫に持って彼女の方が大変だったのではないでしょうか。
漱石はイギリスに留学しましたが、オックスフォード大学にもケンブリッジ大学にも英文科がないことを知って愕然とします。下宿で本ばかり読んでいたのも無理からぬ面があったのです。今なら情報が発達しており、専門科についもよく調べていますから、留学でこのようなことは起こらないでしょうが。
漱石がうつ病であったという、作家で精神科医の加賀乙彦氏の説を筆者は紹介し、賛同していますが、それによって漱石の作品の値打ちが下がるものではないとも言っています。確かに「行人」の一郎のような超人のような思想は、常人の神経からはなかなか生み出されるものではありませんし、常人ではない天才が芸術や科学を創造し発展させてきたという厳然たる事実があります。ドストエフスキーは若い時から,てんかんの発作に襲われ、終生変わりませんでしたが、それが彼の文学に深みを与えています。
漱石の娘の筆子の結婚についても書かれていますが、作家の久米正雄が彼女に惚れこんで結婚を申し込んだものの、断わられたという話も載っています。私はそのことについてはよく知りませんでした。
鴎外で言えば、天才少年ぶりが明らかにされています。5歳から8歳までの間に四書五経を習得しています。驚異的な秀才ですが、四書五経は当時の基本的な勉学書であり、儒教が重んじられた韓国でも同様であったようで、「キム尚宮」でも、少女のケトンが宮中に上がった時、四書三経を学んでいたということが出てきました。
鴎外はドイツ留学の前に、学生時代に文部省から留学しようと思っていたところ、成績が届かず、やむなく陸軍に軍医として勤めたという経緯が述べられていましたが、今でいう飛び級をしたほどの秀才(実際は年齢を2歳ごまかして後の東大医学部に入学しました)が、大学では劣等感に駆られていたことを知りました。
鴎外は最初の妻と離婚した後、独身時代が長く続きましたから、愛人がいても仕方ないところですが、正式の結婚をせずに別のところに囲っていたというのは感心しません。当時の社会では妾などを持つのは悪いこととはされていませんでしたが、子供の教育にはよくありませんし、良き父親ぶりを発揮した鴎外の値打ちを下げることでした。
また、現役時代は地位に結構執着しており、そのような反省の上に立って、自分が死ぬ時には、自分の墓には一切の肩書きを彫ってくれるな、「森林太郎」という本名だけを彫ってほしいと頼んだのかもしれません。
漱石について言えば、鏡子夫人が漱石と結婚して熊本に来て三年目に自殺未遂を起こした件に関して、筆者は熊本で孤独感を覚えていたからだと推測しています。鏡子夫人は悪妻のように言われますが、気難しい漱石を夫に持って彼女の方が大変だったのではないでしょうか。
漱石はイギリスに留学しましたが、オックスフォード大学にもケンブリッジ大学にも英文科がないことを知って愕然とします。下宿で本ばかり読んでいたのも無理からぬ面があったのです。今なら情報が発達しており、専門科についもよく調べていますから、留学でこのようなことは起こらないでしょうが。
漱石がうつ病であったという、作家で精神科医の加賀乙彦氏の説を筆者は紹介し、賛同していますが、それによって漱石の作品の値打ちが下がるものではないとも言っています。確かに「行人」の一郎のような超人のような思想は、常人の神経からはなかなか生み出されるものではありませんし、常人ではない天才が芸術や科学を創造し発展させてきたという厳然たる事実があります。ドストエフスキーは若い時から,てんかんの発作に襲われ、終生変わりませんでしたが、それが彼の文学に深みを与えています。
漱石の娘の筆子の結婚についても書かれていますが、作家の久米正雄が彼女に惚れこんで結婚を申し込んだものの、断わられたという話も載っています。私はそのことについてはよく知りませんでした。
鴎外で言えば、天才少年ぶりが明らかにされています。5歳から8歳までの間に四書五経を習得しています。驚異的な秀才ですが、四書五経は当時の基本的な勉学書であり、儒教が重んじられた韓国でも同様であったようで、「キム尚宮」でも、少女のケトンが宮中に上がった時、四書三経を学んでいたということが出てきました。
鴎外はドイツ留学の前に、学生時代に文部省から留学しようと思っていたところ、成績が届かず、やむなく陸軍に軍医として勤めたという経緯が述べられていましたが、今でいう飛び級をしたほどの秀才(実際は年齢を2歳ごまかして後の東大医学部に入学しました)が、大学では劣等感に駆られていたことを知りました。
鴎外は最初の妻と離婚した後、独身時代が長く続きましたから、愛人がいても仕方ないところですが、正式の結婚をせずに別のところに囲っていたというのは感心しません。当時の社会では妾などを持つのは悪いこととはされていませんでしたが、子供の教育にはよくありませんし、良き父親ぶりを発揮した鴎外の値打ちを下げることでした。
また、現役時代は地位に結構執着しており、そのような反省の上に立って、自分が死ぬ時には、自分の墓には一切の肩書きを彫ってくれるな、「森林太郎」という本名だけを彫ってほしいと頼んだのかもしれません。
"日本文学探訪14 高橋昭男氏「新書で読む 漱石と鴎外」" へのコメントを書く