古典文学探訪106 「宇治拾遺物語・絵仏師良秀」 自分の家が焼けるのを見て火炎の描き方を学ぶ特異性

1年の古典で「宇治拾遺物語」の「絵仏師良秀」の話を取り上げています。有名な話であり、芥川龍之介はこの説話をもとにした小説「地獄変」を書いていますが、その違いについても後に触れます。
 「これも今は昔」という説話ではお馴染みの言い方で始まりますが、ちょうど昔話が「昔昔あるところに」というのと同じようなものです。仏画を描くのを専門にしていた絵仏師良秀がいたそうだという始まり方ですが、場所は書いていないものの、「大路」という言葉が文中に出てくるのでもわかるように、都の話だと思われます。ある時、隣から火事が起こって風が家を覆うようにして火が良秀の家まで迫ってきたので、逃げ出して大通りに出てしまいます。着のみ着のままという感じであり、他人が注文して良秀に書かせていた仏画も家に置いたままでしたが、それを持って出るという余裕もなかったのでしょう。もっとも、文中では仏画を置いてきたとは言わずに、「おはし」という敬語が使われていますが、いくら絵であっても仏様には違いないので、敬意が払われているわけです。
 着物を着ない妻子もそのまま家の中にいたとありますが、寝ている時に起こった火事だと想像がつきます。良秀は妻子が中にいるとも知らないで、大通りの向こう側に立ち、火が我が家に移って、煙があがり、炎となりくすぶるまで、までずっと立って火事を眺めていたので、見舞いにやって来た人々が「驚きあきれることだ」と言いますが、良秀は騒ぎ立てません。普通なら自分の家が焼かれているのを見て平然とした気持ちにはなりませんし、自分の妻子がそばにいないことに居ても立ってもいられないという気になるはずです。
 「どうしたのだ」と人が尋ねますが、それは当然の疑問です。良秀は通りの向かい側に立って、家の焼けるのを見て、ちょとうなずいて、時々笑っていたと云いますから尋常なことではありませんし、不気味なことでもあります。 
 良秀は「ああ、大変なもうけものをしたなあ。長年の間、下手に絵を描いてきたなあ」と言いますから、見舞いにやって来た人たちは「これはどうして、家を焼けるのを見て、このように何もしないでお立ちになっていらっしゃるのか。驚きあきれたことだなあ。物の怪が取り付いておられるのか」と尋ねましたが、こう訊くのも無理はありません。この当時は、物の怪が人間の体に取り付いて病気を起こしたりおかしな行動を取らせたりすると考えられていました。良秀の怪しげな行動を物の怪のなせるわざと人々は思ったのでしょう。良秀は絵仏師なので尊敬されていたのでしょうか、人々の言葉に「たまへ」という敬語が使われています。もっとも、後の箇所で良秀が人々に対して答える台詞の中にも「おはし「たまへ」という敬語が使われていますが。
 これに対して良秀は答えます。「どうして物の怪が取り付くはずがあろうか、いやない。長年、不動尊の火炎を下手に描いていたのだ。今見ると、このように燃えていたのだなあと理解したのだ。これこそが、私にとってのもうけものよ。この絵仏師という仕事に携わって生活していくのならば、仏の絵さえ上手に描き申し上げれば、その報酬によって百千の家もきっと建てられるだろう。おまえさんたちこそ、それというほどの才能もおありでないから、家などの物なんかを惜しみなさるのだ」と。良秀はこう言ってあざ笑って立っていたとありますから、相当高慢な人物です。みんなより才能があることを自慢していますし、火炎さえうまく描けたら家などはいくらでも手に入ると豪語しています。実際、この言葉通り、良秀のよじり不動と云って、彼の描いた絵を人々が褒め称えているとありますから、いかにもリアルに上手に火炎を描いたのでしょう。良秀は火事の炎の様子をつぶさに見て、火炎の描き方をマスターしたわけであり、実地から学ぶという点では良秀のしたことは評価できます。しかし、妻子を助けにも行かず、ただ火炎のことだけを気にしていたところに、良秀の人間性の欠如というものを感じます。妻子は助かったのかどうか、その描写はありません。

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